おわりのはじまり。
カレーという料理は、なぜこんなにも人を惹きつけるのだろうか。
思い出してほしい。
あの頃の、土曜日の味を。母の味であり、家族と食べるいつもの味を。
あまり仲の良くないクラスメイトとつくった調理実習の味を。
野菜が硬くて、水気が多く、薄くなってしまったキャンプの味を。
固定された足で、ぎこちなく歩いた先にある、スキー場の山の上の味を。
はじめての一人暮らしで、作りすぎてしまったときの味を。
お昼、食堂で迷った挙句選ぶ「とりあえず」の味を。
想像してほしい。
豚肉か、牛肉か、鶏肉か、シーフードか。それともひき肉か。相性のよい具材の多様性を。
ターメリック、レッドチリパウダー、クミン、コリアンダー…さまざまなスパイスの組み合わせを。
すりおろしたリンゴ、ビール、チョコレート。隠し味として脇役になる、意外な具材の調和性を。
福神漬け、らっきょう。豚カツ。完成したもの同士の、一緒に口に入ったときの協調を。
夢みてほしい。
ふらっと食べられるCoCo壱のカレー、松屋のカレー。なぜだかうまい蕎麦屋のカレー。一流シェフのつくる欧風カレー。スパイス香るナンと食べるインドカレー。噂のタモリさんのカレー。
それぞれの道の、その先にある極限を。
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こんなにも身近で、たくさんの工夫できる余白があり、さまざまな方向性で味を極めることができる料理を、ほかに見たことがあるだろうか。
カレーだけにあるこの特長が、ぼくたちを惹きつける。
ぼくは歩みはじめた。思い出の先、組み合わせの向こう、極みを目指して。
"冒険の書"、水野仁輔・著『いちばんおいしい家カレーをつくる』を手に、「ファイナルカレー」なるものつくったのだ。
ファイナルカレーとは、師・水野仁輔氏がたどり着いた、究極のカレーだ。
レシピにそって4種のスパイス、玉ねぎをはじめ、数々な具材を組み合わせる。
完成したファイナルカレーの味の奥行き、うまみ、香り。自分で作るカレーの中では、まさに極限だった。
だが、それはそのときの極限でしかないことは、すぐにわかった。微妙に調和しない、アンバランスさを感じたのだ。ああ、また、一歩、深みに入っていく。
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カレーという料理は、なぜこんなにも人を惹きつけるのだろうか。
カレーという料理は、多くの人にとって身近で、さらに手を加えられる余白があって、それぞれの道で楽しむことができるからだ。
もしかしたら、カレーは、インターネット時代の究極のコンテンツなのかもしれない。だれもがフラットにカレーをつくり、それぞれの冒険をはじめることができる。
さまざまな素材、具材がリンクし、ひとつの無限の可能性を秘めた料理ができあがる。
出来上がったカレーは、できれば、あの子にシェアできる。こうやってカレーの話もできる。
カレーは、"インターネット的"なコンテンツかもしれない。
もしかしたら、コンテンツのたどり着く先は、カレーなのかもしれない。つくったコンテンツで楽しんでもらい、体験してもらい、行動してもらいたいと思っている。カレーというコンテンツは、それを実現している。
カレーを研究することで、ぼくたちはコンテンツに必要な要素を見つけることができるかもしれない。なんて、ね。
ああ、カレーが食べたくなってきた。
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