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ほんとうの私を知らない②:遠藤周作

前回夢の内容をほとんど覚えていないと書きました。
しかし、遠藤周作さんの本を読んで「夢」について考えることが増えたためか、半ば覚醒していても夢の続きを追いかけて目を閉じていることが増えました。夢のはじまりはやはり覚えていませんが、夢の中でどんな目に遭ったかは覚えています。

先日の夢では、洞窟の探索をしていました。
ほとんどのメンバーが若く、リーダーだけ普段同じサークルにいる仲間ではありませんでした。
そのリーダーがメンバーに断りもなく、難所のある洞窟に連れていったのです。計画より道程が長くなり、細い穴を抜けることが増え、闇も深く、メンバーは不安になっていました。
荷物も選りすぐらず、かえって重たいようなものを持ってきていたのです。
食べ物には困りませんでしたが、道が困難になるにしたがって、リーダーの軽装に疑惑が向かっていました。
そしてとうとう海の中の洞窟を進むことになったのです。
30秒ほど息を止めていれば抜けられるという話は、メンバーの一人が先に確かめに行ったので本当でした。
しかし、そこを抜ければ本当にもう難所はないのか。引き返しても、半日程度しかかからないのです。
とりあえず、進んでみようという結論でまとまりましたが、私は水中に入るのが嫌でした。
そして、水の中に入る前に目が覚めました。


果たして、この夢は私のどんな心象風景を表しているのでしょうか。
他人に対して疑心を持つ私の心は闇深いということでしょうか。

「ほんとうの私を求めて」遠藤周作

美しい表紙です。まるでそこに遠藤周作さんが座っていたようです。
この本について感想を書くと長くなりそうなので、何回かに分けることにしました。
遠藤周作さんの人生における問いについて、私はこう思う、実こうだこうだと自問自答して、時に反論しながら読み進めるような内省的な本でした。
エッセイで章と小話に分かれているので、ここについてはこう思うという形で書けばいいかなと考えています。

「私」とは何か:もう一人の私の発見

心の操縦法 30頁~

ー私は人間の心というものはーつまりあなたたちの心というものは実に危険にみちた一色即発の爆弾をかかえているような気がしてなりません。 いまこれを読んでおられるあなたが、いかに妻として、母として御自身の心に自信を持っておられるとしても、それはいつ何時転覆するか分からない。だからあまり自分の心に自信を持ちすぎて無防備であってはならないような気がします。
ーもう一つ、我々には仲間の誰か一人を敵視することで他の者の結束を再確認しようという気持ちがあります。敵視された者はいわば人身御供なのですが、この飲み屋でも二人の会社員は他の同僚の悪口を言うことで連帯感を強めようとしているのかもしれません。
ーその「してはならぬこと」「みせてはならぬこと」だと考えているあなたの部分は実はあなたの潜在的な欲望であることが多いのです。マジメな人妻を自認しているあなたはおそらく、夫以外の男性に興味や関心を示すことを「してはならぬ」「みせてはならぬこと」だと考えているわけですが、それは実はあなたの欲望にほかならないのです。

この章でなぜ人妻を対象にお話しされているか分かりませんが、これを書かれた連載の雑誌が婦人向け雑誌だったのかもしれません。
しかし、今はそういった家庭に入った女性向け雑誌は下火になりました。
子供を持っても離婚してシングルになる人は昔からいて、今も結婚しない人は多くなっています。家庭人としての仮面をかむることは少なくなってきた世の中で、また、別の仮面が要求されるようになったのかもしれません。
それは、社会が乱れているにも関わらず、非常にマジメな人間を装わなければいけないとか、そういうことかもしれません。

ただ、私の問題は、別に人間が欲望を持つことをそれほど隠す理由が分からないということにあるのです。環境や人によって態度を変えることがなかなか難しいのです。
ある種、仮面をかむることができる人は、それを悩む必要のない正常な人たちなのだと思います。

非日常への脱出 36頁~

ーそのような生活,,の中では、必然的に何かを抑圧します。人間は社会生活のため慾望、本能を抑圧すると言ったのは、フロイトという学者です。いや、他人より優越したいという欲望を共同生活のため、抑圧するのだと言ったのは、アドラーと言うフロイトの弟子です。

ーだが、抑圧したものは、抑圧しっぱなしにすれば、我々の心を苦しめる復讐者にもなります。よく修道女にノイローゼ患者が出たり、真面目な内気な青年男女が、うつ病や神経症にかかるのもそのためです。抑圧したものが紛失する出口を見つけられなくて、病気という形を取るのです。

ー生活と人生とはちがいます。生活でものを言うのは、社会に強調するためのマスクです。また社会的な道徳です。しかし人生ではこのマスクが押さえつけたものが中心となるのです。 しかし、はけ口が必要だからといって、すべてのはけ口が良いとは限りません。他人を傷つけ、自分を傷つけてしまう抑圧のはけ口もあるのです。

フラストレーションが溜まる事を今はストレスと言い換えます。ストレス社会が流行語にノミネートされないのが毎年不思議なほどで、自殺も過労死もイジメの原因すらストレスに言い換えられてしまいます。
私も持病が分からなかった時に、ストレスとか神経症だと言われました。吐きたいほど嫌いな上司が会社にいるんだろうと胃腸科のお医者さんがいうのです。確かに周囲とうまくいっていなかったのは事実ですが、わたしは特定の誰かが嫌いというより、誰にも関わりたくなかったのです。言ってしまえば、会社のありようや社会の現状が嫌でした。私は子どもの頃から母に人間嫌いと言われ続けています。

心に窓を開ける 42頁~

ーあなたたちも時々、ヒステリーをお起こしになるでしょうが、その折、胸に手を当てて考えてごらんなさい。そのヒステリーは充たされぬもの(フラストレーションといいます) が心にあって、それが正当な捌け口がないために生じたものが実に多いことに気づかれるでしょう。

ーしかし私はこの際、率直にご主人以外の男性と付き合うことをお奨めします。と書くと遠藤はとんでもないことを言うとお叱りを受けるかもしれない。しかしまあ待ってください。私は別にある特定の男性と付き合えと言っているのではない。私がお奨めしているのは、特定の男性ではない、男性もたくさんいるグループ活動に参加しなさいと申し上げているのです。そういう楽しいグループに入ることで、夫以外の複数の男性と友人として交際する事は、これからの既婚女性には絶対に良いことであり、また結婚生活の持つ、どうにもならぬ単調さを救ってくれるものだと私は考えています。

不倫の流行った時代に対する提案でしょう。私は結婚していないので、不倫するどころかその願望を持つことすら叶いません。さらに、社会のグループ活動に参加するのも嫌です。
確かに女性だけ、男性だけでかたまるのは歪な社会だと思いますが、不倫の理由を社会のありようのせいにしても仕方ないですよね。

疫病の流行で不可抗力ながら、マスクをつける人が増え、場面によって顔を変える、人によって態度を変えるという社会も変わりつつあるのではないかと思います。マスクをつける事で気に入らない役を演じる事が放棄できるなら、それは抑圧そのものではなく抑圧からの一部解放ではないでしょうか。

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