群ようこさんの人生を垣間見る
群ようこさんの本は子どもの頃からよく読んでいた。母が作家の群さんと年が近くて共感するところが多かったらしく、群さんの本をよく買っていたのだ。
家にある本は全部自分のものという意識の子どもだったので、母が読みかけている漫画だろうと目についたら、勝手に先に読んでいた。
入院した母に差し入れするにあたって、群さんの本を書店の平積で見て、迷うことなく手を伸ばした。しかし、やはり歳が近くて共感するというのだから、小説よりエッセイにしたかった。
群さんが描く普通の人
群さんの経歴を考えれば、”普通の人を描きたい”というのはそれなりに苦心するものだと思う。しかし、確かに群さんの描く女性像は派手なところがなく、普通の人の私が登場人物に共感してきたことは事実なのだ。
このエッセイにはこれまでの群さんの働き方が書かれており、その中にはどのように作品が生まれてきたかという裏話があった。
「かもめ食堂」という作品は映画になったが、元々フィンランドを舞台にした映画を作る予定で出演者も誰々と決まっていて、そのために小説を書いてくださいと依頼があったのだそうだ。
そんな生まれ方をする小説もあるんだなと興味深い。正直映画はあまりにたんたんとしていて感情移入できなかったのだが、それでも大きな事件の起伏のないところは群さんらしさを感じられた。
そして、群さんが描く女性たちは理想の生き方をしているなと感じることが多い。静かに世の中と戦っている自立した女性ばかりなのだ。
それは作者の群さん自身がそうであるのかもしれないと思わされた。
群さんはいい加減に就職活動をしたように書かれているが、書籍関連の仕事につきたいという意志は一貫している。私のような平凡が地滑りを起こして埋没している人間は、そんな業界を絞ることなどなく手あたり次第だった。
家族との確執。原稿料の不払い。アイデアのかっぱらいに作品の盗作。作家を続けて来られた中で様々な紆余曲折があったのだろう。それをたんたんとして語られているのが群さんらしい。
電子書籍に移行の波は東日本大震災以後確かにあって、その恩恵を私も享受している。しかし、作家の方にすれば当時は青天の霹靂であっただろう。Amazonの書籍のネット販売も当初はうまくいかないだろうと業界で思われていたというのは意外であった。誰もがそうそう先見の明があるわけではないのだ。
さらに、最近の風潮で反論や批判が来ないように婉曲に書くよう編集から指導が入るというのも驚きだ。SNSの発達でいろんな人が意見をいいやすい世の中にはなった。一方で、群さんの本でそれほど激しい言葉が使われているような記憶もないのに、それに噛みつく人たちが存在するのだ。わたしがこうして好き勝手感想を書くことも、もしかしたら、ご本人の目に留まることが万が一にもある世の中である。
群さんはそうした批判的な意見と戦う人だろうなと思う。無視できるところは無視するが、看過できないとことははっきりと意見を言う。その姿がこのエッセイから目に見えるようだ。
どんなに社会的に成功して見えても、楽な人生というものはないということだろう。