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災害毎に上がる猫の値段 第二十回「猫の嘴」
世の中には知らないことが多くある。この本でも新しいことを知った。日本のペット市場がどうなっているのか、この本に書かれていることが事実であっても、それだけで全てを知ることができるわけではない。それは1つの側面であっても、それぞれの事情がこの本だけではわからない。新しい知識を手に入れても、それで社会の仕組みのどこに欠陥があるのか判断できる能力が、やはり私にはない。
東日本大震災の後、そしてここ数年以上の疫病の流行によって、日本でペットの需要が高まった。特に疫病の流行は世界中だったから、世界中でペット需要が高まったと言う報道もあった。需要に対して供給を追いつかせるためには何が行われるか?それは生産である。計画的に生み出される命。求められる健康。例えば私が犬や猫として生まれていたら、遺伝的疾患を持つ動物として、市場から弾かれていただろう。
「猫を救うのは誰か」
「消費者の意識が遺伝性疾患が増える根源となっている。消費者は自分の嗜好が市場を作り出し、犬猫の値段を決めている自覚を持ってほしい。消費者が知識を持ってくれたら、事態は改善されていくはずだ。」(「猫を救うのは誰か」[朝日文庫])
今年から飼い主のいない猫たちの避妊・去勢手術をやっている。それで9月に出版されたこの本に興味を持った。2019年に改正された動物愛護法の事などよくわかっていなかったので、勉強になった。なぜそういうルールが作られたのか経緯を知ると、納得感が増す。最善では無いかもしれないが、それぞれの人の立場がある。法律を施行する政府、ペットを販売するブリーダーやペットショップ、そして飼い主のいない動物を保護しているボランティア団体。それらが三つ巴で敵対関係にあるわけではない。それぞれにままならない現実があるだけなのだ。
家族を選ぶ
私はペットショップで動物を飼ったことがないので何とも言えない。ただし、子供の頃家に来た秋田犬は、保存団体から両親が購入したものだった。それも他人伝手だったから、それが秋田犬であることも両親すら事前にわかっていなかったかもしれない。1990年代の日本では大型犬を番犬として買うようなイメージはまだあった。けれども、やってきたのは、割と小柄な秋田犬だった。子犬の頃は、ただかわいいばかりで、こんなにかわいい賢い犬を選んでもらって、家族全員申し訳ないと思っていたくらいだ。我が家には、過ぎた犬だというのが共通認識だった。
猫についても近所に現れたので、選ぶとか選ばないとかはない。家猫にしたかどうかは先着順だ。
さらに私は独身だ。人間の家族も自分で選択したことがない。自分の家族を選んだことがないのだ。
買うと飼うの違い。猫を選んではダメなのか?それも私には極端な気がする。猫にだって猫の好みがあるのだから、もしかしたら人間との相性もあるかもしれない。私は猫をリリースしながら、もっと良い土地を住処にしてたら、この猫たちにもっと良い猫生があったかもしれないと申し訳なく思っている。
動物を家族にしたいと思う事は罪深いことなのか?なるべく健康な猫がいいと思われるなら、それはそうだ。しかし、私は病気でもそこそこの人生があると思っている。もちろん、虐待や故意に病気にさせる事は論外だが、ままならないのが人生だ。
日本では、野生動物は基本的には傷ついたときに保護するだけで飼ってはいけないことになっている。本の冒頭でかつては犬猫は拾って飼うものだったとある。今はどうだろうか。猫なら拾えると思われるかもしれないが、拾っても外に出せない。結局増やしてはいけないので、ブリーダーが減る未来があればカラスもスズメも飼えないから、海外からインコを輸入してくるように、猫もそうなるんじゃないかと思うがどうだろうか。
動物との暮らしをどう工夫していくか、日本だけで解決できるのかなとは思った。
猫の尻尾は優性遺伝
猫には遺伝性疾患と言うものがある。実はこれは犬より多くないらしい。有名なのが、スコティッシュフォールドに見られる骨軟骨異形成症、多発性囊胞腎症だ。肥大性心筋症もそうらしい。ただ、心筋症に関しては私が子供の頃飼っていた犬が10歳を超えてからそうなったものの雑種であったので、それは血統種の持つ遺伝性疾患から受け継いだのか素人の私にはちょっとよくわからない。
私が今日に手術や去勢手術をしている近辺の猫は血がつながっている家族ばかりだ。それが分かるのはしっぽだ。短い特徴的な尻尾をしている。この短い尻尾も優性遺伝するらしい。だから一頭も長いしっぽが生まれていないのかと納得がいった。短い尻尾は怪我してちぎれたのか、元々なのか判断しづらい。ペットショップの市場では尾曲の猫は販売から外されるらしい。とすると、やけに短いしっぽばかりなのは、そういった経緯で捨てられた猫もいるのかもしれないとつい想像してしまう。しかし、今はしかるべき引き取り先があるようだ。保護団体が無理をして引き取ったりもするらしい。それもまた、根本的な解決にならないと「下請愛護」と批判されたりするそうだから大変だ。売れ残ってた犬猫や規格に合わない犬猫を引き取ることで、結局はペットショップを助けているという見方があるようだ。
ペットショップに入ったことがないので、子供の頃は大人になったらいつか寄ってみたいと思っていた。その中にはいろんな種類の犬や猫がいて、きっと他の子とは特別に違っている個性的な動物ばかりなんだろうと思っていた。実際には、大人になっても縁がなく、求められるペット像というのがあって、疾患は全て欠点で、個性とは認められないようだ。
日本人が昔から好きだったという短いしっぽの猫。ほうきみたいな尻尾にL字に曲がった尻尾を持つ猫ばかりを身近に見かけるので、それの何が悪いかわからない。
我が家でお腹まで届く長いしっぽを持っているのは、飼い猫の三毛猫だけだ。しかし、鼻先が短い。まだ幼い犬猫の方が衝動買いしてもらいやすいということで、以前はブリーダーの人が出生日を偽ることが行われていたらしい。ここ1、2年で改善したそうだ。
生後2ヶ月で我が家に来た秋田犬はぬいぐるみのように可愛かった。十分幼い顔立ちのような気がしたが、世の中の人はみんな顔をよく見ている。
私はこの本を読んでから、ようやく身近な猫たちの顔の特徴を比べてみようという気になった。我が家の三毛猫は鼻先が伸びなかった。それはそれで美の基準に合わない気がする。成長が早かったので多少ベビーフェイスでも身体がベビーではなかった。しかも痩せていたので眼光が鋭く見えた。今はフォルムが丸くなった。麦わら柄の猫が1番鼻筋が通っているけれど、表情がキツめだ。
長らく白キジと呼んできた猫たちは実はサバ白だった。灰色縞とも呼んできた。庭で見かけるボス猫カエルくんは今は去勢したが、優しく賢いモテ猫で、メス猫たちを繁殖させた。サバ白のオスは珍しく性格も良いらしいのでそんな猫が野良でうろちょろするだろうかと観察していたが、結果飼い主はいなかった。
*後日、獣医さんに確認したらサバ白のオスはそんなに珍しくなく特異な点もないそうだ。ネット情報を鵜呑みにしてはいけない。
結局、ペット業界の本当のところは分からないが、私としてはペットショップがなくなり、野良猫がいなくなり、猫と暮らせなくなってもそれはそれで仕方ない気もする。私はいつも目の前のことしか考えられないから。
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