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【追悼】大崎善生さんの愛した将棋文化 第十七回「猫の嘴」

 8月に、将棋の小説「聖の青春」でお馴染み馴染みの作家の大崎善生さんがお亡くなりになられました。故人の生前を偲ぶために、本棚から「将棋の子」を持ってきました。
 なんとなく、冒頭から内容が辛くて、これまで読み進められてこなかったのです。

 将棋のプロには誰もがれるわけではありません。また、今は社会人からでも挑戦できるようにルールが緩和されたらしいですが、奨励会には年齢制限もあります。14歳でプロになれるような天才もいれば、25歳ギリギリまで粘る人もいるわけです。本によれば、21歳までに初段26歳までの誕生日までに四段という壁があります。詳しいルールや改変については、私は素人なので分かりません。

 プロになれなくても、当然、その後の人生は続いていきます。
 本の中では「体中が総毛立つような焦燥感」だと年齢制限の厳しさが語られています。

 プロキシになるという1つの夢を諦めた人たちはその後人生はどのような方向に向かっていったのか。

"指導棋士として将棋の普及に励んでいるものもいるし、専門誌や新聞に観戦記を書いているものもいる。アマチュアに戻り、将棋の大会に参加して活躍している者もいれば、ぷっつりと将棋から縁を切ってしまった者もいる。そしてようとして連絡を取れなくなったものも大勢いる。"

 作者が追いかけたかったのは、連絡が取れなくなった元奨励会の会員である。

 昔であれば、会員雑誌とか新聞にしか将棋などの棋譜は見られなかっただろう。しかし、今やネットに数多の情報が散乱している。新聞の発行部数が落ち込んで、詳しい人がどこで何を解説しているか、探すのも、かつてより一苦労になっているのではないか。そしてまた何か専門的なことを語ることについても、それをなりわいにするのは難しいのではないかと、素人の私は想像する。もしかしたらこの本が書かれていた頃よりも、プロになれなかった人たちのその後と言うのは今厳しいものがあるのではないか。

 一方で、この本の中で多く語られているのは、奨励会で、どのような戦いをその人たちが繰り広げていたかと言うことだ。そのご縁がなくなってしまったか、縁が薄くなった将棋と言うものについて子供の頃、どれほど熱心に取り組んだか。

 大げさかもしれないが、私には学校の部活動などにも通じるような気がした。一方ではサッカーなど子供の頃からクラブチームに所属する人もいるが、その人たちが皆オリンピック選手になれるわけではない。海外リーグで活躍できる保証もない。それでも彼らは何かに追い立てられるようにして、その1つのことに取り組むのだ。

 私は自分の子供時代を考えたときには、強制的に部活動に入部しなければいけない。日本の現状については反対である。一方で、外部活動にしたところで、将棋などを見れば、結局のところ弾くことができないまま、その環境で追い詰められた状況になるのは変わりがない。成功すればそれでいいのかもしれないが、失敗したら退路がない。多くの人よりも、多くの困難を抱えて、社会に放り出されるのである。

 今の将棋連盟が、どのような組織になっているか知らないが、日本の多くの組織が、子供たちの将来や、あるいはスポーツ選手のセカンドキャリアなど考えぬまま、昔の制度を変えないでいるような気がする。言ってみれば、「将棋の子」は「サッカーの子」などとも言い換えられる。

 生きづらさや息苦しさについては、非常に共感するところが多かった。

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