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私が理科教員になるまで(3)〜転入・編入試験への挑戦〜

高校教員を18年弱務めている今、なぜ私が理科教員になろうとしたのか、改めて振り返っている。
唐突ながら実は私、2つの大学に通い、計6年間大学生として過ごしてきた。
今回はその経緯についてつらつらと。

やっぱり国公立大に行きたい!

高校を卒業し、滑り止めの大学に入ったとしても、何とか大学生にはなれた。
しかし、不本意だった。

やっぱり国公立に行きたい。

そうすれば家計の負担が減る。

教員免許も取りたい。


などといったような事を考え、最初の大学に入学する時点ですでに仮面浪人か編入を考えていた。
それなら滑り止めだとしても、何でもっと考えなかったんだ?!と今になって思うところだけどね。
確かに、その時置かれた環境で最大限努力することも一理ある。
しかし、当時の私にとっては、最初の大学にずっと4年間も通うことには耐えられなかったというのが本音。
そして、大学1年の夏休み、まさに学歴コンプレックスの塊だった私は、編入試験対策予備校の門を叩いた。

人生の師との出会いから英文漬け

その予備校でチューター(業務担当)の方と出会い、いろいろ話をした。
このチューターは、私にとって人生の師とも呼べる方だった。
初めて出会ったときから、強烈なオーラは感じていた。
まず一言。
「編入試験対策では英語が一番大事。普段から英語の専門書を読み、勉強して下さい」
それで私が大学1年の夏休みから1年かけて読んだ本はこの2種類。

『科学と人間』
SF作家にして生化学者のアイザック・アシモフによる科学エッセイ。
1995年に出版。

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『やさしい化学英語』
中学校の理科と高校化学で扱う内容について、英文でコンパクトに綴られている。
1986年に出版。

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大学1年から行った転入試験対策の勉強

大学1年の頃は、化学についてバリバリ学びたかった。
そこで転入・編入して学べるところを調べてみると、工学部の応用化学科がまず目についた。
私が調べたところ、ほとんどの大学が英語・専門科目・面接を受験科目にしていた。
ところが、私の通っている予備校で開講されているのは英語・小論文・経営学・法学・社会学・心理学のみ。
当時、この予備校では英語の授業を受けていたものの、専門科目は独学で何とかしないといけなかった。
なので、放送大学の科目等履修生になり、化学に関する講座を受けた。
専門書も買い漁り、一通り目を通した。
面接については、直前になって何とかすりゃあいいかと思っていた。
しかし、専門科目の知識が定着した・・・とは、とても言えるようなものではなかった。
そんなわけで、転入試験対策として真剣に勉強したのは、事実上英語のみという有様だった。

工学部受験に挑戦・・・世の中そんなに甘くなかった!

そんな状態で当日の試験に臨んだということで、当然ボロボロ。
そもそも工学部の編入試験を受けるのは、高専を卒業する学生がほとんど。
彼らの方が専門科目をバリバリ学んでいるのは当然のこと。
学際系の学部にいた私などは太刀打ちできなかった。
英語は何とかなったものの、専門科目はサッパリという有様。
某大学の面接では、面接官から散々言われた。

「君の言葉には中身がない」

「何となくで入学しようとしてるんだね」

「高校生の知識だけもっていても通用しないよ」

試験が終わって家に帰った時、悔しくて泣いた。
酒浸りにもなった。
結局どの大学とも不合格。
今までやってきたことは何だったんだろうか?
真っ暗闇だった。
編入試験が終わってからしばらくの間、抜け殻状態で毎日を過ごしていた。

再び編入試験に挑戦

それから時が経ち、最初の大学の3年になり、ゼミにも配属された。
その頃になると、就職についても考えなければいけない時期にさしかかった。
しかし、その前の年に失敗した大学転入について心残りが大きかった。
自然科学について学びたかった。
何としても国公立大に入らないと気がすまないという思いがあった。
何というか「執着」とか「業」みたいなものだった。

ある日のこと。
その予備校の近くを歩いていたときに、たまたま先述のチューターと再会。
最初は戸惑った。
それでも、私が最初の転入試験対策で失敗したこと、これから学士編入・大学院入試などを考えた時の対策方法など、いろいろ話し合うことができた。
流されるままだったけど、この時、学士編入に挑んでみることに決めた。

地獄の小論文講座

最初の大学の3年の秋から1年間、このチューター(以下「師匠」とする)による小論文講座を受けた。
この小論文講座を通して、最終的には自分で志望理由書・研究計画書を書けるようにすることを目的としていた。
ひいては、それが面接対策にもつながるものともしていた。

今思うと、学校・塾を問わず私が学生時代に受けてきた授業の中で、一番凄まじいものだった。
論文の書き方についてたたき込まれた後、専門的(哲学的)な文章を読んだ上で出された課題について800字程度で論述することが毎週繰り返された。
そして、期日までに師匠に文章を提出し、授業当日には師匠から受講者全員の前で自分が書いた文章が読まれ、ダメ出しを喰らうことの繰り返し。
当然私の文章にもダメ出しはあり、その量は人一倍だったと思う。

「何勝手なことばかり書いてんだ?!」

「一般論ばかり書いてんじゃねえ!」

「自然科学やるならカントの『純粋理性批判』くらい読んどけ!」

・・・といった感じ。
この講座では小論文の書き方はもちろんのこと、「なぜ学ぶのか?」「学問とはどういうものか」について考えさせられた。

これとは別に、志望理由書の作成指導も繰り返し行われた。
私も志望理由書を書いては、師匠から何度もダメ出しをくらい、10回くらい書き直した覚えがある。
それでようやく師匠から及第点をいただき、何とか形になった。
これまでは社会科学の視点から生ゴミのリサイクルについて学んだが、自然科学の知識や考え方も身につけることで、研究を深めたいというところに着地した。
この志望理由書作成の経験は、教員になってから受験指導をする際にも随分活かされた。

志望校と学部はどうなった?

最初の大学では社会科学系の科目を多く履修していたこともあり、文理融合型の学部or大学院をリサーチしていたら、ある農学系の大学が目に飛び込んできた。

頑張れば自宅から通えそうという国公立大。

化学・生物学・社会科学など開講科目が幅広い。

環境問題・リサイクルについて扱う研究室がある。

そんでもって高校理科の教員免許が取れる。

私が望んでいたことと、驚くくらいにマッチしていた。
ということで志望校は定まり、受験対策もさらに進めた。
その大学の試験科目は英語・数学・面接。
対策として、こんな英語の本も読んだ。

「英語で読む生命と環境」
生命現象・動植物・環境問題などをテーマにした英文を集めた一冊。
アイザック・アシモフや、レイチェル・カーソンによる文章も含まれている。
1995年に出版。

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再び試験本番

前半は英語と数学の筆記試験。
英語はともかく、数学がどうなるか心配だった。
しかし、どちらの科目の問題とも思った以上にスムーズに解けた。
後半は面接。
一番苦手で不安。
ただ、志望理由書を繰り返し書いてきたことで、必要に応じて言えるものは持っていた。
いざ面接に臨むと、先生のご対応も穏やか。
時には茶化され、時にはこういうことを学んでみない?というオススメもあった。
やっぱり上手く対応できなかったかな。
いろいろあったものの、帰宅するときは妙に気分が良かった。
その後に結果通知が届いた。

合格!!🌸🌸🌸

ようやく報われた思いがした。

とりあえずここまでで一息

最初の大学は卒業するまで4年間過ごし、2つ目の大学は3年次編入して、2年間過ごすこととなった。
この時点で、私の遠回り人生が始まっていたのだろうか(笑)

そして編入後は、紆余曲折と苦難の日々を過ごすことになった。
ここから先の話は別の記事にて。
長文ながらもお読みいただきありがとうございます。

理科教育力向上ラボ
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