ゆっくり、じっくり
若いから、パソコンできるでしょ。
若いから、子どもに好かれるのよ。
若いから、できなくてもしょうがないよ。
まだ若いんだから…
数年前、転職をして東京から地元に戻ってきた。その時からだろうか。やたら"若いから"と言われるようになった気がする。というか、その言葉が、やたらと耳につく。
当時は20代後半で、確かに若かった。だから、"若いから"と言われることに、はじめは何の違和感もなかった。
転職先の訪問看護ステーションでは、私以外のスタッフは、40~60代が中心。そんな中、20代は自分だけ。「若者」は、たった一人だった。
訪問看護の世界で働く20代看護師は、全世代の中で10%未満だと言われている。そもそも業界的に珍しい存在なのだ。だから「若いね」と言われることは、仕方ないと思っていた。
けれど、あまりにも毎日言われるものだから、次第に違和感がうまれた。
「若いから」という言葉を使う真意は、何なのだろう。見下されているだけなのだろうか。マウントを取られているのだろうか。少なくとも、気持ちの良い感じがしなかった。
「今どきの高校生は、お化粧するの?」
「最近の流行りには、ついていけへんわ」
こうした会話は日常的によくある内容だが、
「あなたのことは理解できない」
と暗に言われているように感じてしまう。
考えすぎかもしれない。
でも、「年下だからって、バカにしているのかな?」と思ってしまう。たとえ自分に対して言われている言葉ではなくとも、人を小馬鹿にしたような会話を耳にすると、暗い気持ちになった。
ふつうに、悔しかった。
だから、認めてもらわなければ。
「若いけれど、頑張っているよ!!」とアピールしなければ。
はやく、"経験豊富なひと"になりたかった。
そんな中、たまたま上司と話す機会があった。
「最近どう?1人で任されることが増えて、辛くない?」
訪問看護師は、利用者のご自宅に主に1人で訪問し、健康管理や日常生活の援助を行う。
病院であれば、何か緊急事態があると先輩看護師や医師が直ぐに駆けつけてくれた。困っていたら、そばにいる誰かが助けてくれた。
でも訪問看護の場合、医療者は私1人。何かハプニングがあり、それが医療に関することならば、私が頼られる側になる。上司に電話で相談することはできるが、多くを自分で考えて行動しなければならない。そのため、緊張感は常にあった。
そうした事情があり、初めは1人で利用者のご自宅に訪問することは緊張した。けれど、しばらくすると1人訪問にも慣れてきた。
なので、上司に「最近どう?」と聞かれたとき、「子どもたちに顔を覚えてもらえてきました」などと答え、たわいもない話をした。私が担当する利用者は、0〜18歳以下の子どもがほとんどだった。
すると、上司が言った。
「何でもすぐにできるようにならないといけないって、焦らなくてもいいからね。」
ハッとして、上司の顔を見た。
彼女はまっすぐに私の顔を見て、続けた。
「私たちは何十年と培われた考えがこびりついてしまっていて、柔軟に考えられないところがあるのよ。他のスタッフは、あなたにもっといろいろさせてあげたらというのだけれど‥、まだ若いから、技術的なことはすぐ覚えられると思う。
それよりも"家族の中で子どもが育っていく" という考えを、ゆっくり、じっくり身に付けていってほしいの。」
それにね、と微笑みながら、彼女は言った。
「私たち(看護師)がお家に行くでしょ?子どもたちは何が楽しみかって、『遊ぶ人が来てくれた~!』ってことだと思うから。若くて元気な人が来てくれたら、子ども達も喜ぶから。」
上司と話した日の夜、こころの中で何かが解けていた。
必死に背伸びしようとしていた自分を、わたし自身が認められたからだ。
先輩たちは、私よりもはるかに長いキャリアを積んでいる。その知識や経験は、純粋に「すごいな」と思った。「経験にはかなわないなぁ」と思った。
一方で、自分はまだ転職したばかりで、看護師のキャリアも浅い。教えてもらうばかりで、肩身が狭かった。
もしかしたら、肩身の狭さを感じるのは、新人の頃から早く成長するように、尻を叩かれながら育てられてきたからかもしれない。ヒーヒー言いながら先輩の背中についていき、日々勉強をして現場経験を積み重ねた。
日々の仕事をがんばっている姿は、自分自身が一番見ている。知っている。だから、新しい職場の先輩たちを尊敬しながらも、心のどこかで「自分も頑張ってきたのだから、私の経験も認めてほしい」という想いを持っていたのだと思う。
"若いから"という言葉にアンテナが引っかかったのは、「認めてほしい」と思うが故に、早く一人前にならなければと焦っていたからだ。
その言葉が、当時から5年近く経った今も、静かにこだまする。
技術は慣れればすぐに身につけられる。でも、技術だけでは看護師として一人前にはなれない。
"成熟した大人"としても、頼りない。
成熟するまでには、きっと深い思考が必要なのだ。日々の経験から深い思考を紡ぎ出せる人が、"経験豊富なひと"なのではないだろうか。
この言葉をかけてもらった日、心の中で大泣きした。上司の切実な想いは、私の焦りに許しを与えてくれたのだ。
時間をかけていいことはある。
結果なんて、気づけば追いついているさ。
ゆっくり、じっくり。
訪問看護ステーションを辞めた今でも「家族の中で子どもが育つこと」について、考えている。子どもたちの看護をしながら、家族の営みを垣間見させていただき、「家族って、なんだろうな」と、思う存分考えている。
ハッキリとした答えはまだないけれど、それでいいのだと思う。