一度旅したら「知っている場所」になる
先月末に台風21号が台湾を襲い、1人が死亡、200人余りのけが人がでたことをNHKのニュースで知った。そして、台風22号が発生し、また台湾を襲うという。
台湾に行ったことがなければ、世界のニュースのひとつとして聞いていたと思う。たとえばウクライナのニュースを見聞きして、大変だ、悲しい、なぜこんなにも長い間、一般人を巻き込んで戦わなければいけないのだと思うものの、別の場所で紛争がおこったり、大規模噴火があったりすると、大変失礼ではあるが、忘れてしまう。
しかし、一度旅をした場所になると違う。一度ならず何度も出かけていると、そこは知らない場所から知っている場所になる。そうなると、特に友人がいるわけでもないのに、その国が友人のような存在になって、まるで友人が災害にあったかのように悲しみがこみあげてくる。
中でも台湾は今までで一番再訪率が高い国だ。取材で何度もいき、そのあとはマンゴーを食べるために毎夏いくほど大好きな国。コロナ禍で途絶えてから行ってはいないが、また必ず行きたいと思っている。
とにかく優しくて人なつっこく、こっちが何か聞くと、言葉がわからなくても、なんとかして教えてやろうとあの手この手で伝えてくれる。とはいえ、押しは強くない。そのままべったりくっついてきて金をせびろうなんていう某国とは違う。話しかけてほしいタイミングで話しかけてくれ、助けてほしいと思えば助けてくれる。ツーリスト価格でぼったくることもない。
夜市では注文の仕方を教えてくれたり、何を食べているんだろうと覗くと、食べてみたらと自分の分をわけてくれたり。
台風のニュースはキラキラした風景ではないが、台湾というだけで旅で出会った風景、人々、きらびやかな夜市、電光掲示板があるお寺などがありありと浮かんでは消えていく。姉妹でやっている餃子屋はどうなったんだろう、取材でアテンドしてくれたかわいい女性は大丈夫だろうか?夜市で一緒に飲んだ夫婦は元気だろうか?いろんなものすべてが無事なんだろうかと考えてしまい、苦しくなるのだ。
台湾を旅しなければこんなにも苦しむことはなかったかもしれない。だったら出て歩かなければ知り合いもできないし、悲しみが増えることもないから旅にいかなければいいとは思わない。
悲しむのは誰にだってできる。他になにかできることはないだろうかと思うも、寄付をすることぐらいしか思いつかない。最近は寄付の横領事件などを見聞きし、本当にわたしが助けたいと思っている人に届くんだろうかと疑念がわき、寄付をしても安心できない。
台風の勢力が予想よりも弱まり、ちょっとした雨風だけで通過するのを日本から祈ることしかできない。