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父の、レコード盤の傷で針が飛ぶ現象
前回、父の頭が図書館だったとしたら、、なんていうお話しをしました。
今日は図書館ではないのです。
レコード盤と針。
なんで!?
、、とにかく今日はこれで行こう。
私が小さな時は、というか20歳前半までは、音楽を聴くといえばレコード盤でした。今消えつつあるCDが、まだ世に現れる前のこと。
黒く丸い平べったいレコード盤。これをターンテーブルに置いてスイッチを入れたら、くるくる回るの。専用の針をレコードの端っこにそっと置くと、音楽が流れ出す。今はDJのお兄さんたちが使っている、あれね!
私の幼少期のレコードプレーヤーは、立派な家具でもあったのです。
LPが数枚収納できスピーカーは結構大きな範囲で内蔵、ターンテーブルの蓋を閉めればうっかり上にコーヒーカップを置いてしまいたくなるような、ウッディなテーブル感。
もうそれは、音楽が聴こえる立派なおしゃれ家具!
そのプレーヤー、子供が操作することは許されず。だって子供がやったら絶対と言っていいほど、レコードを針で傷つけちゃうから。
そこをなんとかなんとか親に交渉して、つまり駄々をこねて、たま〜に針を置かせてもらうことがありました。
緊張しながらレコードの端っこに、そーっと針を置く。ドキドキしてるから余計に針が不時着しちゃう。そうすると、「ッガガンガァァーー」という音がスピーカーから響いてドキっとする!でも、うまく針が降りて音楽が鳴り出すときは、わぁ〜ってなる。
針を置くその瞬間が、みんな好きだった。もちろん、私も。
小学校高学年ぐらいになると、サイズがだいぶ小さくなって、透明な蓋がついているコンパクトなプレイヤーが主流になり、オートプレイの機能もついているから、レコードを傷つける心配もなくなりました。
針が自動でゆ〜っくりと動いて、レコードに着地。で、音楽が流れだす。
でもこれが、なかなか待てなくて!お手伝いしましょうと思わずオートを無視して手で動かしちゃうから、そんなかんなで結局、針でレコードを傷つけてまうのです、ッガガンガァァーーと。
その傷がついたレコードを再度聞こうと針を落とす。すると傷の場所で針が飛んでしまう。針が飛ぶということは、音楽が飛ぶ。
一周してまた同じところで飛ぶ、そしてまた飛ぶ。飛んで同じところにまた戻り、、そうなの、同じ歌詞がずっっっと続くことになるのよ!
オ〜〜ソ〜〜レ〜ミヨッ♪ミヨッ♪ミヨッ♪ミヨッ♪ミヨッ♪みたく、永遠に。(この歌知ってる?古過ぎるか?)
こんな風に私の父、ときどき針が飛ぶのです。そう、同じ歌詞やメロディーを繰り返してしまうのです。
で、今日の父、針がよく飛んでしまいました。
って、あーー、長い!うまくもない例え話が!
、、ごめんなさい。
でね、
父の認知は、実はそんなにひどく進んでいる訳ではないのです。
でも、体や心の調子、心配事、そしてどんよりな空や雨などの低気圧もが、ときどき物覚えに色んないたずらをするのです。
先週も、そんな要素満載な日がありました。雨が降ったり止んだり、湿気も多かったものね。
父の同じ話が繰り返される時。それは、私の同じ話を聞く力が試される時。
でもあるのです。
繰り返される同じ話をどれだけうんうん、と聞いてあげれるのか。
器が小さい私は、父の話を聞きながら、うんうん。うん、、うん。 うん、、 え?? あれ、、? もう100回ぐらい聞いたよ? え、話を最後まで聞きなさいって? あ、はい、、。ふ〜。え!?ため息じゃありません。っふ〜〜。あ、ごめんごめん。
となってしまうこともあるわけです。
同じ話を聞き続けることに「これは、、何かの修行か?」なんて思う時も。
あら、私ったら大げさ? 修行だなんて、、ねぇ。同じ話をしたら、うん、うんって聴いてあげればいいじゃない。ねぇ?
おっしゃることは、ごもっとも。だがしかし、、同じ話を何回も聞くことが、こんなに忍耐がいることとは! 知らなんだ、、。
ほら、お友達とかで、いない?同じ話を何度も繰り返しちゃう人。と言う私も、話をまどろこしく繰り返してしまうタイプなんだけどー。
だからってわけじゃないけど、
「お年寄りが同じ話を繰り返したら、何回も何回も聞いてあげようよ。」と思っていたのです、ずーっと。
けれども。けれども。
私の器は、恐ろしく小さくそれも平べったく、だったらそれはもう器とも言えない?そんな器だったのです。
それと同時に、認知による物忘れたるものは色んな形があるんだな、、っと少しづつ分かってきたのです。
で、そう。話は戻る。
先週のある日、父との電話。針がよく飛んだ日。
「えーっと。今日は何曜日だったっけ?」と言う。
「カレンダーを見てみて?」と私は言う。
父は、そうだな!と言ってカレンダーを見る。
うーんと眼を凝らし「今日は7月3日だな!」
で、またすぐ「えっとー、今日は何曜日だっけ?」と。
だけど今度は、私には聞かずに自分でカレンダーを見る。「そうか、7月3日だった!」
30分の電話で10回以上繰り返してたから、3分に1回の割合だ。
でも私に聞くものの、カレンダーを見てはちゃんと日にちを確認。
針はよく飛んだけど、飛びっぱなしだったとも言えるけど、なんか父は脳トレを頑張ってた感があった。なかなかやるじゃないか。
一年くらい前までは、今日は何日?と聞かれれば、私は「今日はね◯月◯日!」なんて答えていたけれど、自分で思い出せることを自力で考れば、それは脳トレとなる!と知り、私はあえて言わず、そして父は自ら頑張る。そして一生懸命に思い出そうとする。
でね、その姿が、ちょっとだけ格好いいのだ。ガマガエルみたいなお腹の出た父の姿が!じゃなくて、その記憶を捻り出そうとしている父のがんばっている姿が、それがちょっとグッとくる。感動という言葉が近いかも。
そんな父の姿を見ると、口数が多く余計なことを言ってしまう小器ねぎ次女(私)は、反省するのです。
ビィ・ペイシェント、じっと待とう。ビィ・ペイシェント、じっと聞こう。
でも反省って意外と続かないみたいで、次の日はいつもの私が舞い戻っちゃうんだけど。
でも父は、そんな私にめげることなく、毎日の出来事や、嬉しかった事、ムカついた事、落ち込んだ事などを話す。繰り返し話す。
ある意味、ありがたいとも思える。だってさ、娘から小言を言われるのをわかっているのに、それにめげずに話してくれるのだもの。私を厄介者に思ったっていいものなのに、さ!
そして、ふと思う。
私、どんだけ父が好きなんだろう。
父からの電話で、今忙しいのよぉ、ジリジリ、、。なんて思うのは、しょっちゅうで、
会話中は、貧乏ゆすり無縁だった私が足をボヨボヨ揺すってたりもするし。
自動的に「っち」とか言っちゃった時もきっとあったかもしれないし、なのになのに、、。
どんだけ好きなのだろう、と思う。
ファザコンなのかしら?
そうかもしれない。
まぁ、どっちだって良い。
そんなかんなでその日は、私はいつもよりは穏やかに話を聞けたかもしれなくて。
父は「こりゃラッキー!言い放題だな」、って内心思ってたりしたかも、だけど。
こんな小器の私をよーく分かってくれているのが、私の姉、ねぎ姉。
私の父に対する思いや心配事、私のイライラや心の狭さも知っていて、時にはなだめ、時には励まし、時には煽り、、。あれ?!
兎にも角にも、頼れる存在なのだ。
私にとっても、
そして、父にとっても。
姉と私。昔から仲は良かったけれど、今はその深みが違う。
姉と父。昔から仲は良かったのかは微妙だけど、今はその微妙が良い化学反応を起こしている。
次回は姉に登場してもらって、父とねぎ姉妹のことでも書こう。、、かしら。
何故ねぎ姉妹なのかは、ここを読んでみてね。
おしまい。