探究って怖い!?
昨日から書き始めました。探究的な学びを探究する教員の話です。
note書いて「スキ」されると嬉しいですね。
学術的なこととか、統計的なデータとか、特に有益な情報はないんですが、とりあえず思ったこと書いていきます。(そういうのはgoogleで検索すれば出てくるし!)
今回は「探究って怖い!?」という話です。
水﨑はやりながら「なんか怖いな」と思っていました。
(今でもたまに思います。)
探究といっても、本当にさまざまな形があると思います。
自分について深く考えたり、ある事象について分析したり、何か仮説を立てて検証したり、どこかで起きている課題の解決を目指したり…
本校の世界部の場合は、「長野の魅力を自分たちで見つけ、世界に伝える。企業の海外展開や、復興を自分たちが行うことで、当事者として本気で関わる」というのが、活動する目的になります。
(これについてはいつかまたどこかで詳しく書きたいと思います。)
もう少し具体的に言うと・・・
「八幡屋礒五郎さん」の七味唐からし
「いろは堂さん」のおやき
「中村農園さん」のりんご
これらの3つの長野の魅力的な商材を「海外の店舗に置く」と言うことを、ひとまずのゴールにスタートしています。
一見すんごい楽しそうなのですが、プロジェクトが始まって、しばらくすると、なんだか怖くなってきます。
「海外まで輸出するって本当にできるのかな?俺やり方わからんぞ!」
「お金はどうするの?めっちゃ売れ残ったらどうしよう!」
「イギリスに売る?行ったこともないけど!」
なぜ怖いのか?
それは、子ども(児童・生徒)の学びが、自分(先生)の構えている「枠」をこえてくるからだと思います。
言い換えると、自分の教えている子どもが、自分もやったことないこと(=よく知らない世界や分かりやすく教えられない範囲)に、足を踏み入れるのがこわい、と言うことなのかなと思います。
(まあ「教える」なんて早くやめればいいだけなんですが、それはひとまず置いておいて…)
これは「商材を店舗に置いて売る」という類の活動に限らないと思います。
何かを探究し始めると、いつかは関わっている子どもの学びが、自分の守備範囲をこえてくるという現象が起きるのではないかと思っています。
しかし、逆に考えると、その枠をこえない限り、子どもは先生の持っている知識や経験以上には学べないと言うことになります。これは大変勿体無い。
これはもう諦めるしかないと思いました。(笑)
また、子どもの活動を見ていると、同じく「枠」をこえることにびびっている感じがします。
そしてそれは年齢が上がれば上がるほどよく「びびる」ようになる感じがします。(世界部は小4から高3までいます。)
小学生の「知らない」という状態は最強です。
だからもし、探究的な学びにおいて、まず必要なことは何か?と聞かれたら、水﨑的には、
大人(教員)も子ども(児童・生徒)も「"ちょっと怖いな〜"と思う枠の外に飛び出す勇気を持つこと」だと思います。
と答えます。
サンボマスター的に言うと「できっこないをやらなくちゃ」と言う感じです。
そして、子どもも大人も、"ちょっと怖いな〜"と思う「枠」を出ることで、大きく成長できるのかなと思います。
(あ〜たったこれだけなのに、書くのめっちゃ時間かかってしまった。)