盲目の語ることば
どんなにわたくしも勤めがひがありましたことか、なれどもたいへん悲しいことには、おひおひ日がたつにつれまして、いくらわたくしが新しい手をかんがへましておもしろをかしくまつてごらんにいれましても、「ほゝ」とかすかにゑまれるばかりで、やがてそれさへもきこえないことがおほくなつてまゐりました。
谷崎の「盲目物語」の一節である。戦国時代末期、信長の妹にして近江の浅井長政に嫁いだ「天下一の美人」と称されたお市の方、その側に仕えた盲目の按摩法師の回想録である。女性が政争の駒となることは、天皇外戚となることで実権をものにしてきた摂家に代表的なように、日本では珍しくなかった。お市の方も然り、織田家の政略によって婚姻した夫・長政が信長に討たれたのち、なおも秀吉と柴田勝家との共謀により勝家に嫁いだ。しかしやがて勝家が秀吉に討たれると、追い込まれた夫とともに自害を果たす。そしてその一の姫、茶々は秀吉の側室となる。これが有名なのちの淀殿であった。
下剋上とはいえ、名だたる大名家に生まれた貴い女性の命運がこうして盲目の仕えの口を借りて語られる。しかし谷崎の見事さは、ほとんどすべて平仮名で書いていることだ。決してすらすらと読むことはできない。しかしかえってたどたどしい盲人の語りを間近に聞くように感じられる。あるいはこの平仮名語りは、盲人の見た薄明の世界のように思われる。按摩のこの語り手は全盲となっているが、それゆえに心の眼で世界をみるような手触り、物の綾を捉えるその心眼と鋭敏な感性とが、朴訥ながらすぐれて聞き手へと伝わってくる。ときに「のぶなが公」だったり「信長公」だったりするちぐはぐな明滅さも効果的で、回想のなかで登場するとりわけ唱歌の節が不思議とよく響いてくる。
おもうとも
そのいろ人に
しらすなよ
おもわぬふりで
わするなよ
闇の世界に悲しく笑う高貴な女性、お市の「ほほほ」というか弱い声が、ずっと聞こえてくるようでならない。主張ばかりで人の話に耳を傾けない人が多い昨今、有名な人の発言は正しいと、有名というただそれだけの理由で「盲信」する人が少なくないこの現代にあって、谷崎描くお市近臣の名もなき盲目のまことの語りに、静かに耳を傾けていたい。何よりも悲運に翻弄された人間の生きた言葉が語られているからには。