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敗戦後の大川周明
ここしばらく勉強していた大川周明、功利主義による列強のアジア支配からアジア諸国を解放すべく「大アジア主義」をもって語られた希代の理論家/思想家であった。縦横無尽の該博強記には驚くばかりだが、時間の横軸と空間の縦軸が織りなす地図は、きわめて緻密で詳解な大東亜共栄圏を描いた。しかし敗戦後の文集を読むと、大川なる人はきわめて自己に誠実で清廉高潔な人であったことを知った。
戦後、友人知人らとの書簡のなかで、敗戦の責任を自ら全うすべくことが整然と書かれている。此度の敗戦は軍閥が八紘一宇の神勅や大稜威を振廻したる神罰と被存候ヘバ、小生の如く之を熟知しながら制止得ざりし者は如何なる刑罰をも甘受可仕、、、。実に知的にも心情的にも「まこと」を生きた人だったと賛嘆した。
なかでも思想的な反目から互いに敵対したとされた(死の直前の)北一輝との書簡のやり取りは胸を打つものがあった。確かに袂を分かつも、北の思想と人格への尊重は決して忘れなかった。何よりも道徳と人倫を重んじた大川らしく、ここに一個の高潔な人間をみた思いがする。
どこまでも日本を愛し、その発展を願った大川は、終戦後の荒廃した亡国日本において、立国を目指し農業復興の運動に立ち返った。これこそ他ならぬ天照開闢の地歩であったという。頭でっかちの理想主義者とばかり思っていたが、実に魂に忠実な行動の人であった。往時の東北の田園を自ら耕して回った。
自らにどこまでも自然であったこの人から学ぶべきもの、いわば大川が耕した畑から収穫すべきものはいくらでもあろう、そう思いながら、読み終わるや襟を正しくして、ひとり座りなおす。