魔法の古民家だから
そこから約一年かけて、傷んだところを少しずつ直してもらった。
宿泊施設として必要な準備を進め、古民家の2階を直してアトリエとして貸す事にした。
資金はあのお金しかなかったから、自分で出来るところを教えてもらい、通ってコツコツ直した。
この頃から、時間で利用してくれる人が少しずつ増えた。子供の頃の絵画教室に来ていたお友達のお母さん達が民生委員をやっていて、地域の老人会の利用が入ったりした。そこから地域や鎌倉市と繋げてくれる方にも出会う事が出来た。
途中、台風で屋根が吹き飛ぶ……とか雨漏りで畳がびしょ濡れになる……とかまぁまぁ……まぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁぁぁぁぁ色々あったけれど、1年かかってやっと宿泊施設としてスタートを切る事が出来た。
それが、2020年の3月…
世の中はコロナ真っ只中。
airbnbにめでたくオープンできた2日後に、緊急事態宣言が発令されて、また古民家を閉めなければならないとか 笑
相変わらずの波瀾万丈っぷりから今に至る。
振り返ると、目の前の事だけをどうにかする事に精一杯だった。
でも今、古民家は素敵な空間になっている。
素敵な空間…………
いやそれ以上だ。
私とこの家に関わっている人すべての表現の場で、自慢の場所だ。
どこよりもリアルで
どこまでも素敵な古民家再生の物語。
だと私は思っている。
平日は、アトリエを借りてくれた女の子が、玄関雑貨店をやったり。
イッテンモノアーティストの彼女がミシンを踏む横で、腰越のお母さん達が洋裁したり。
地域の人の体調管理としてヨガを教える先生がいたり。
腰越を良くしよう!とご近所の若い世代が地域活動の企画や作業をしたり。
社会福祉協議会の職員の方達や市の職員の方々も気軽に寄ってくれて、相談したりされたりしながら色々な町や、世代の問題を考えるきっかけをくれる。
宿泊運営のチームは、どうやったら古民家が良くなるか。地域を不安にする事がないように、お客様に楽しんでもらえるように日々本気で考えて遅くまで対応してくれる。
育った私には当たり前の、窓の開け閉めなどを、誰にでもわかるようにするのはものすごく大変だと思う。けれどクールにわかりやすくまとめてくれた。
本気で彼らにしか任せられなかったし、FOLKの大黒柱だと私は勝手に思っている。すごく良いチームなのだ。
宿泊清掃のスタッフは、古民家だからこそ綺麗にして気持ちよく過ごしてほしい。とピカピカにしてくれる。
清掃を通して癒されてるし、来るのが楽しみなのよ。と話してくれた。
立ち上げの時から人に恵まれてて、私に寄り添って一から清掃の仕方を決めてくれた。
宿泊運営チームが地域のセカンドライフの雇用を目指す鎌倉市の課から地域に清掃アルバイトの募集をかけて採用し研修してくれた。
地域で仕事を生むことが出来た。
宿泊は、福島の子供達をボランティアでかまくらの海に招待する活動で使っていただいたり、近隣の自主保育のお泊まり会。大学生のグループ。家族連れ。カップル。さまざまの人が古民家に泊まりに来てくれる。
子供達が学校の先生やアーティストの方たちと古民家を中心に子供の頃が自分達の力で自由に活動する、カマクラ図工室が海の学校として使ってくれたりする。
みんながそれぞれに古民家を大事に思ってくれて、表現の場であったり癒されたり、旅の場所であったり、それぞれの使い方をしている。
古民家だから、まぁほんと色々あるのだが、
何かあれば、ゆきこさーん。ゆきちゃーん。山田さーん。と呼んで教えてくれる。
あのパリッとした男性が、
古民家を腰越に返す時が来るかもしれませんね。
と、はじめの頃に言った時 全然意味がわからなかったけれど、いま古民家は腰越でみんなの大切な場所として歩きはじめている気がする。
古民家には、秘密の場所がある。
普段は誰も入ることが出来ない場所。
その場所から屋根の1番上に、木札があるのが見える。100年前の大工さん達の名前だ。
きっと100年前、見事な銅葺の屋根は輝いていて、立派な家だっただろうと思う。そんな家を建てた大工さん達は誇らしげにそこに名前を記し残したのだろう。
父と妹。そしてこの家を愛した母。
この場所を選び維持してきた親族達。
ここに縁のあった人すべてに感謝。
100年もご縁を繋げていってくれた人達に感謝。
ちょっとノストラジックな雰囲気を残した海辺の漁港のある町に、古民家は今日も静かに建っている。
100年変わらずに。
これから先どこまで行けるのかはわからない。
これからの道もきっと色々あるだろうな。
でも、きっと大丈夫。
人のご縁と力を繋いでいく魔法の古民家だから。
それが私の育った古民家。
FOLK koshigoeです。
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