古民家を宿泊施設として開業するときのテーマに、暮らすように過ごす。がある。さて暮らすように…とは? 私は旅が好きだ。ずーっと旅していられたらいいな。と思う。でも旅好きは、30代入ってから。 それまでも、女3人でお金を貯めては旅行に出掛けていた。国内も海外も3人でよくでかけた。 主人と出会ってからは旅行ではなく旅をしていると思う。 ボロの車にサーフボードを積み数日の旅から始まり、海外にバックパックを背負って数ヶ月。子供が産まれ犬を飼い始めてからはキャンピングカーで旅をする
年をあけて、古民家は大きなメンテナンスしなければならない事態が発生したりして、一つ一つ乗り越えながら今年の宿泊のシーズンを迎えようとしている。 ここから、春の風を心配し、雨が長くならない事を空を眺めながら思い、夏の宿泊の予約を見ながら秋まで台風が直撃しないか天気図と風予報を祈る思いで見つめる。 前回も書いたのだか、今年は古民家の行き先を何でもチャレンジして見つけようと決めた。 その先にどんな事があるのか今は見えないが、 きっとまた古民家とみんなが見せてくれるに違いない。
古民家をどうにか維持しようなんて考えてやっていると、度々ガックリする事がおこる。 それは建物の問題であったり、金銭的な問題、人間関係だったり、今ならコロナのような考えてもどうにもならないような事だったりもする。 魔法の古民家だと思っていても、ずーんと肩に重くのし掛かり、自分の甘さや勝手さに落ち込み、もう何もかもやめてしまおうか。とさえ思う瞬間がいく度も訪れる。 2月はとくに、物や人が動かない時期だし、収支なんかみちゃったりして考えても仕方がない事を考えてしまう。 そんな
そこから約一年かけて、傷んだところを少しずつ直してもらった。 宿泊施設として必要な準備を進め、古民家の2階を直してアトリエとして貸す事にした。 資金はあのお金しかなかったから、自分で出来るところを教えてもらい、通ってコツコツ直した。 この頃から、時間で利用してくれる人が少しずつ増えた。子供の頃の絵画教室に来ていたお友達のお母さん達が民生委員をやっていて、地域の老人会の利用が入ったりした。そこから地域や鎌倉市と繋げてくれる方にも出会う事が出来た。 途中、台風で屋根が吹き飛ぶ
私はしつこい。 思い込むとしつこいから、グズグズと燻りながら思う。本当にだめなのだろうか?何か方法はないのだろうか? 興味をもってくれそうな会社に、いきなりなにか一緒に出来ないか?と話をしたりもした。 クラウドファンディング。という方法もあるが、 古民家をどうにかしたい!なんて話は山のようにある。今の時点で、そう簡単にお金を出してくれる人はいないだろう。 そんな時に、13年前に亡くなった母が積み立てていたお金を父が思い出した。(たぶん父は最初から知っていたはず 笑) 古い
この数年は大変だったし、順調に家が開かれ、色々出来たわけではなかった。 住まなくなった家はどんどん傷んでいくし、想いが空回りして人を傷つけてしまう事もたくさんあった。 そんなこんなで、父との約束の数年が経ってしまった。 この頃の家は傷みが酷かった。 なんとか数年やったけれど、維持できるまでは程遠い。 想いが空回りして何もかもうまくいかない。 古民家も、自分の本業の洋裁も、家庭も、子育てもすべてうまくいかない。と思った。 そう思うと身体が重くてどうにもならなかった。 気がつ
色々人に妄想を話してはいたが、会社に相談するとなると、少し緊張する。 良い家だ。という自信はある。 だが、ここで育ってきただけに愛着以上の物がプロの目を通して本当にあるのだろうか? 私の妄想にうんざりするのではないだろうか? ドキドキしながら家で待っていると、2人の男性が来た。 真面目そうなパリッとした男性と 半袖にトランクスのモジャっとした頭の男性。 絶対にパリッとした男性が社長さんだとおもったらモジャっとした方が社長さんだったー! あぁ話しやすそうで良かった…と安心
さて。どうやったら残していけるのか。 古い住宅街にある築100年の古民家。 私は当時、未就学児を抱えながら洋服の仕立てをフリーでしていた。財力は全く期待出来ない。 今思っても無謀としか言いようのない。 とにかく父を説得し続けて、どうにか数年の猶予をもらった。 まずはどうにかならないものかと、たくさん人に話した。妄想だけで、よくもまぁ周りに話をしたと思う。 ただただ古民家の事だけを信じて人に話をした。 大工さんや建築関係の方にも見てもらった。 良い材料を使っているねぇ。
私が育った家は、築100年を迎えようとしている古民家だ。 海水浴場から徒歩5分程の、湘南というのはちょっと気恥ずかしいような、腰越というしらすの有名な漁師町。 江ノ電が唯一道路を走るノスタルジックな雰囲気を残した町にその家はある。 その家は、貿易会社の社長さんが自宅と避暑の為の離れを建てたようで、平家が2軒並び、渡り廊下で繋がっていたらしい。 そのご主人が亡くなり売りに出されていたのを、 曽祖母が選び祖母の家族が暮らし始めた。 喘息があった1番下の弟には、海の風は良いから