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音楽は自由にする/坂本龍一#9

2009年、教授が約5年ぶりとなるコンサートツアーを行った。
当時わたしは長崎にいたので、もちろんコンサートのチケットはすぐに取った。
それに先駆けて発売されたのが、教授にとって初めてとなる半生を描いたこの自叙伝である。

コンサートではその熟練されたピアノ技巧と、洗練された音楽に感動した想いは今でも忘れることができない。

ピアノ2台を自動演奏を使って、丸2時間を一人で演奏するものだったが、オーケストラを聴いているような、ピアノソロを聴いているような様々な音色に彩られた演奏会だった。

教授は先進的な考えを持つ母の勧めで音楽幼稚園に入り、そこで初めての作曲を行う。
厳格な父は出版社の編集長だったこともあり、折り合いも悪かったらしい。幼少時代から多くの作家の本を読んで過ごした。

周りの生徒のお習い事と一緒にピアノを本格的に習い始めたが、中学に上がる頃には誰もピアノを続けている者はいなかった。
ピアノ教室に通うことを一番気の乗らなかった教授が、最後までピアノを続けていたのである。

ピアノの先生から本格的に作曲の先生についたほうがいいと薦められ東京藝大の教授のもとで作曲のレッスンを受ける。
毎週のように作曲課題を提出することが億劫ではあるようだったが、ドビュッシーに出会ったことで自分でその楽曲分析を行うようになり、現在の教授の作曲技法が確立されていったように感じられた。
また、高校ではストライキに参加したりといった現在の坂本龍一の人格を彷彿とさせる出来事も起きる。

当然のように藝大に入学したあては、スタジオミュージシャンとして活躍するようになり、細野晴臣や高橋幸宏と出会い、イエローマジックオーケストラを結成する。YMOの狂騒の始まりだ。
お互いを刺激し合いながらも、細野晴臣との音楽性の対立をしたあの頃は若かった、と振り返る箇所には一時代を作ったYMOの歴史が感じられた。

「戦場のメリークリスマス」「ラストエンペラー」では苦闘と栄光の影でできた音楽の数々や、その後NYに移住したあとの同時多発テロの衝撃、辿り着いた音楽について触れている

2年2ヶ月にわたるロングインタビューのため、ところどころ文章に一貫性が見られないが、教授自身が語る数々の楽曲の制作秘話、音楽に対する真摯な姿勢、彼の人生の波瀾万丈とも幸運ともいえるストーリーには感動を覚える。

本を読むと順風満帆の人生のように思うが、その時々の苦労に対してスマートに切り抜ける力と、そして彼の天性の才能が切り開いていったのだと感じる、坂本龍一ファンとしては必読の一冊である。

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