人よりちょっとだけ得意で継続できるもの#5
「そもそもなんで作曲やライターの仕事をはじめたの?」と聞かれたことがあったし、どうやってはじめたの?という質問をいただくこともある。
病気になって改めて自分を見つめ直す
大学を卒業して4年間は音楽科講師として私立の中高一貫校に勤めていたのだが、先日noteに書いたように卵巣嚢腫の手術をしたことと、今のままで良いんだろうか、という漠然とした気持ちもあって5年目に入る前に退職した。
他の何よりも授業をするのが好きだったし、生徒との音楽の時間はものすごく楽しかった。
校内の合唱コンクールの規模も大きくして、授業は楽典から鑑賞、琴やリコーダーといった器楽、合唱までできるだけ他の教科と結びつけて。
もう一人、音楽科の先生がいらっしゃったのでその方のおかげでもだいぶ(ていうかほぼ)あるのですが、とりあえずやるだけやったと思う。
音楽科講師はなかなか募集もないし、後悔もするかもしれないと思ったけれど作曲もしたいと思って一旦区切りを付けた。
教員の仕事と並行して楽譜出版社で合唱・合奏編曲のお仕事をさせていただいていたのですが、「音楽以外に何か自分に強みはないだろうか」と考えた時に、「文章を書くのは好きかも」と思い、応募したのが株式会社メディアジーンのROOMIEでのライター募集だった。
好きの気持ちだけで未知の世界へ飛び込む
わたしにとっては未知の世界ではあったものの、楽譜出版社ともメールで楽譜の入稿のやりとりをしていたこともあって、ネット上でお仕事をするのは抵抗なく始めることができた。
ライターでのお仕事を始めたのが2015年の1月なので、もうかれこれ6年。
ROOMIEで記事を書き始めた頃はいまとは媒体の方向性も違っていたのですが、当時は自分で取材先にアポをとることが多く、失敗も嬉しい出来事もあった。
タイピングは昔から早打ちが得意で、写真の撮影や(ライターのレビュー時はすべて自身で撮影している)画像の編集などは本当に初心者。ピヨピヨ。
そもそも画像のサイズの変え方や、なんと拡張子もあまりよく分かっておらず、その都度調べながらどうすれば商品が魅力的に映るかを試行錯誤した。
おかげでいまは撮影が一番すきな作業かもしれない。
取材には長崎まで行ったこともあったし、熊本もあちこち取材しました。
6年ものあいだライターや作曲を続けてきた理由は、その作品やモノをつくった人やプロセスとか、想いを知ることができるから。
おそらくライターという仕事をしていなければ、これほどまでに商品へのこだわりや工夫、メーカーのことまで知ることはなかった。今ほど生活にこだわりを持たずに生きてきたんだと思う。
そして何よりROOMIEというサイトがすき。
わたしも曲を作っていると思い入れとか注力した部分とかあるわけで、作品やモノの作り手の想いを大切にしたい。
そして何より「世の中にはこんなに素晴らしいモノを作っている方(企業)がいるんだ!」という感動を、多くの人に知ってもらいたい。
続けてこられたのはライター未経験のわたしにいつも丁寧なやりとりをしてくださる、ROOMIEの編集部の方のおかげというのはいうまでもない。
そしていま、ROOMIEのほか、同じく株式会社メディアジーンの運営であるライフハッカーというったさまざまな媒体で記事を書かせていただいているのも、感謝すると共に何より「楽しい」ということだ。
ほんの少しの得意を大事にする
朝ドラ「エール」で出てきた言葉に、
「人よりちょっとだけ得意で、継続できるもの」
が、自分の得意なものだと語りかける場面があった。
わたしにとって音楽も文章を書くこともそうなのかもしれない。
音楽を作るのも文章を書くのも、地道な作業が自分の性に合っている部分もあるし、人よりほんのちょっとだけ得意だっただけ、そして継続できた。
自分に迷いが生じた時には、立ち止まってこの言葉を思い出す。
すごく得意じゃなくてもいい。
歩みを止めなければ、それでいい。