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生きていく。
あの窓からみた景色は私の脳をかっさらっていった。
わたしは線維筋痛症という病気になり今は毎日点滴にいき、飲み薬もたっぶり。それは、線維筋痛症だけじゃなく、心臓大動脈弁硬化症、内科的疾患、それに、、、発達障害と二次障害があるから、メンタルクリニックの薬も沢山ある。ただ、私は体の痛みで退職し、自分の天職と思っていた仕事から休職、退職を経験し、自暴自棄というよりかは、こんなはずじゃなかった、まだまだやりたいことがあったのに、と絶望感をかかえて、思春期の子供2人がいるのに、退職した令和5年に未遂をした。そこから変に、いきていくためにODをしてしまうようになった。理解してもらいにくいかもしれないが、死にたい、のではなく、生きていくため、頑張るためにOD、オーバードーズを1シートから3シートを気軽に逃げ場として使ってしまうようになった。
こんなはずじゃなかった。
こんなはずじゃなかった。
こんなはずじゃなかった。
発達を子供2人に遺伝させてしまい、毎日、自分をせめた。あれだけ、患者さんには、あなたのせいではないと言ってきたのに、自分のことになると暗闇で全てマイナス思考に落ちた。
それから2年目、わたしは、メンタルクリニックの主治医に、いつしか、毎週薬を分割して渡すために、週に一回の通院をいいわたされるようになっていた。わたしは、なんとか、この悪循環から抜け出したかったのだが、線維筋痛症という体の痛みが、メンタルをますます追い込み、できないことや、時間がかかることが増えるたびに、自分がいやになり、体と心のどちらからともなく、また、人生を放棄したくなりそうで、旦那さんや子供たち、親に迷惑もかけそうで怖くなり、自分から、一週間という期限をきり、線維筋痛症で内科に点滴で入院するか、ODで精神科に入院するかで、悩み、医師たちとも相談し、任意入院で、精神科に一週間入院することにした。
はじめての病院。
働いているスタッフをみると羨ましくなる。
テレビのない4人部屋。
唯一救いは、窓側で、窓からカーテンをあけると、森と木がよくみえた。空も、鳥も、雲も。
唯一30分、閉鎖病棟から散歩がゆるされていて、外出するたびに、雲がゆっくりゆっくり動いているのを見たり、葉っぱが生きていることを確認したり、深呼吸したりしてあたりまえが決してあたりまえではないことを涙がでるくらい痛感した。
入院前、主治医は、入院費を払うくらいなら旅行にいってきたら?と、わたしに言った。確かに旅行のほうが何十倍楽しいだろうか、、でも私は、精神科閉鎖病棟をえらんだ。自らえらんだ。きっと、わたしは、遊び方をしらない。自由をあたえられても、なにをどうしていいかわからないのだ。つくづく、なにをしてきたんだろう、なんておもう。
病院は規則ただしくて、9時には寝る、6時には起きる、食事も持ってきてもらえる、時間は正確。まわりは、しんどそうなひとばかり。私以外みんな医療保護入院らしかった。そんな方々を見る中、隣の保護室から大声がきこえる度、不思議と、嫌、ではなく、なんだか、いろんな生きる、があり、苦しい中みんな頑張っていることに勇気をもらった気がしていた。
そんな閉鎖病棟の窓は、あたりまえに、ストッパーがついていて10センチくらいしか開かないが、毎日ヘルパーさんが、空気を入れ替えてくれた。わたしは、5階北、という病棟にいた。何気なく、のぞいた窓からみえた景色は、下のコンクリートまで一直線の、景色だった。私はその、邪魔するものがなにもない、五階からコンクリートに飛べる風景に、惹かれた。綺麗だった。美しいとさえ思った。
私は死にたいわけではない。
私はいきていきたい。
私は親としていきていきたいのだ。
でも何かに反するように、その風景は今でも鮮明にリアルに私の記憶に残っていて、今でも美しいとおもうし、あの場所に行きたいと思ってしまう。そんな自分にまたいやになる。
もし、わたしが、あの窓に立っていて、後にも前にも選択が自由なら、後ろにもどる選択は99パーセントない。前にとぶ。でも、私はいきていきたいのだ。こんな相反する感覚を日常背負いながら、私は、いきていく、いきていきたいのだ。
描いてる今も、あの、五階北病棟からの、真っ直下の何も邪魔するものがない、景色を思いだしては、美しいと感じる。
眠れない夜だから、書いたわけではないつもりだが、耳からの大好きな音楽が優しいからか、寄り添ってくれるからか、、誰にもいえないような本音を記せた。
さて、明日も明後日も、ずっと私はいきていく。生きていきたいんだ。生きていたい。
同じように苦しみをおさえながらいきてる人たちが、すこしでも、少しでも、自分を責めずに、存在していてほしい。
わたしは、これからも、旅行ではなく、精神科閉鎖病棟を選ぶだろう。生きていくために。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。顔も名前も知らない、あなた、のことを、あなたの生きるを願って、祈っています。ありがとう。
おやすみなさい(ねむれまてん笑)