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【山本五十六の真実‼】真珠湾攻撃から太平洋戦争の始まりを分かりやすく‼

昭和16年12月7日、永野修身や山本五十六の裏切りによって真珠湾攻撃が実行。

真珠湾攻撃によって日本の敗戦が決まったというのはプロパガンダ。

当時日本には新品同様の世界屈指の海軍がありました。

対英米蘭蒋戦争終末促進に関する腹案どうりに南から西へ行けば昭和17年春には勝利。

大東亜共栄圏

その作戦を潰したのがチャーチル、ルーズベルト、山本五十六です。

山本五十六の真実は単純で戦略を考えていたわけではない

・敵の思惑通りに動いた結果太平洋戦争になってしまった

・病気と飢えで苦しむ兵士をみて戦艦でステーキフルコースを食す

チャーチルとルーズベルトの策略にはめられ大東亜戦争の可能性を潰したのです。

昭和16年12月12日の閣議において、支那事変(日中戦争)を合わせた戦争呼称として【大東亜戦争】が公式に決定。

しかし大東亜戦争は1942年(昭和17年)8月7日でなくなりました。

上記三人の合作がドーリットル空襲、ミッドウェー海戦、ガダルカナル島の戦いで太平洋戦争に突入。

日米開戦陸軍の勝算から

山本五十六の真実は真珠湾攻撃後も太平洋戦争を主張

この時点ですでに陸海軍はセイロン(スリランカ)まで攻略済み。

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真珠湾攻撃後も日本には世界最大レベルの新品同様の海軍があり。

【英国最大戦艦のプリンス・オブ・ウェールとレパルスを撃破した】

南進によりロックフェラーのスタンダード・オイルの石油を確保できていました。

真珠湾攻撃でアメリカは参戦が確定。

戦争準備完了まで数年かかる予定でした。

しかし参戦確定したことにより準備は半年から1年に短縮。

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米国の戦争準備終了までにイギリスを封鎖陥落させる基本は変わらず。

対英米蘭蒋戦争終末促進に関する腹案が基本

【第二弾作戦は以下】

引き続き

・イギリスを封鎖陥落に重点を置く

・西へ行きアジア攻略が基本(太平洋はでず米国海軍を何年も待って撃破)

・ドイツはイラン、イラクへ進行し日本と連携のためスエズ、北アフリカをにらみつつ中東の石油を狙いコーカサスを重点

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大本営政府連絡会議【決定】

(出席できるのは天皇と陸軍・海軍トップ)

①英を封鎖陥落し米の戦意喪失に重点を置き戦場を拡大しない。

機を見て積極的の方策をこうず(対日の拠点であるオーストラリアをせめる)海軍の意見(永野修身、山本五十六)

②解放地域と交通を確保し資源を確保、自給自足を確立し国防力増強

③④⑤⑥対英米蘭蒋戦争終末促進に関する腹案を参照

陸海軍は団結して賛成していた。

永野修身、山本五十六はさらに太平洋へ進行(太平洋戦争)を主張。

ハワイなどの基地を攻略し米国海軍に決戦を強要する。

3月7日【今後採るべき戦争指導の大綱】長田中新一の回想・日記から

防衛省から

田中作戦部長の証言 対戦突入の真相

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日本を太平洋戦争に引っぱるためのドーリットル空襲

日本は国を上げドイツの進行に合わせ西へ向かうことに決定。

しかし山本五十六は反対していた。

「真珠湾攻撃で空母を逃がしてしまったから空母を威嚇するためにミッドウェーを攻撃したい」

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山本五十六の意見に陸海軍部は西に行ければ勝てるため反対。

戦況の悪いチャーチルはルーズベルトに手紙(昭和17年4月7、15日)を出していた。

日米開戦陸軍の勝算から

「簡単にいうと日本海軍を太平洋におびき出してほしいと。」

そこでおこなわれたのがドーリットル空襲。

昭和17年4月18日の総選挙中におきたドーリットル空襲(初の日本本土爆撃で対象は東京、横須賀、横浜、名古屋、神戸等)

空襲による被害

・投下爆弾30

・投下焼夷弾1465

・死者子供をふくむ87名

・重軽傷者466名

・家屋350戸

大変卑劣でドーリットル空襲から子供などの一般人を対象におこなわれた。

ドーリットル空襲を指揮したドーリットル

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・1930年、シェル石油(ロスチャイルド大株主)の航空部支配人として入社

・1940年、軍に復帰して少佐へ

・1942年、4月18日のドーリットル空襲で二階級昇進

・1959年、退役後功績を認められシェル石油の副社長へ

メディアが山本五十六の味方となり世論は太平洋へ

山本五十六「今後の空襲を防ぐためにもミッドウェー島の占領が必要だ。」

メディアも煽り世論は太平洋戦争に傾いてしまいました。

ドーリットル空襲によって山本五十六の「空母を威嚇するためにミッドウェーを攻撃したい」という説明に説得力が増す。

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チャーチルとルーズベルトの作戦にのせられた山本五十六。

昭和17年6月4日にミッドウェー開戦実行。

大海軍部隊は全てミッドウェーへ。

作戦通りで米国の待ち伏せにより大敗北で海軍の80%を失う。

最終兵力も山本五十六により消耗し太平洋戦争の始まり

日本はミッドウェー海戦の大敗後にもわずかな勝算があると見ていた。

それはドイツロンメル将軍のエジプト進行。

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エジプト進行のチャンスに西へ行き最後の賭けにでようとした。

しかし山本五十六は日本にとって圧倒的に不利なガダルカナル島へ進行。

7月に航空基地の建設を始めた。

8月7日ガダルカナル島にアメリカ第一海兵団が突如上陸。

無意味な消耗戦に突入した。【ガダルカナル島の戦い】

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ガダルカナル島の戦いにより陸海軍兵、航空機、艦艇(海軍所属の戦闘用の船)、石油を大量に失う。

事実上西へ行くのは不可能となり大東亜戦争はなくなりました。

山本五十六は【英米合作経済抗戦力調査】結論で負けるに決まっている太平洋戦争にしてしまった。

真珠湾攻撃から太平洋戦争の始まりを簡潔に

話しをまとめて行きましょう。

・真珠湾攻撃後も世界屈指の海軍が残っていて勝算は十分あった

・昭和17年3月7日【今後採るべき戦争指導の大綱】で【対英米蘭蔣戦争終末促進に関する腹案】の基本は変わらず

・ドーリットル空襲により山本五十六の意見が正当化、世論は太平洋へ(ミッドウェー海戦)

・昭和17年7月山本五十六は日本にとって圧倒的に不利なガダルカナル島へ進行

・昭和17年8月7日ガダルカナル島にアメリカ第一海兵団が突如上陸

・無意味な消耗戦に突入し陸海軍兵、航空機、艦艇、石油を大量に失う

・太平洋戦争の始まり