お客さまの思いは届かない・・・
零落する伝統工芸系の作品をご購入下さるお客さまの多くは
「私が買うことによって、作り手の支援になれば・・・」
という思いを持ってご購入下さっている方が多いのです。
しかし、その思い=売上は作り手には、ほぼ届きません。
その業界の「利益分配構造」そのものが間違っているのですから、お客さまの思いは、霧散してしまうのです。
これを知ったお客さまの多くは非常に憤りを感じるようです。お客さまは、文化に貢献すべくお金を払っている。しかしそれはほぼ活かされない。それどこか、その「文化活動としてのお買い物の善意」は良く分からないところに消費され霧散してしまうのです。
これは、伝統工芸系に限らず、日本のビジネスにおいて良くある事ですね。意義が分からない飲み会、会議、書類の用意などなどが繰り返され・・一度決まった事を自分の存在感を示すためや、思いつきで上役がひっくり返し、また最初からやり直し・・・そんなムダな事ばかりをして、その度に飲み会をしたり研究会と称して旅行や飲食をし、それが全て経費に計上され、モノ作りの人々への支払いは削られていく・・・
エンドユーザの意識は高い。しかし、業界人の多くには当事者意識が、ほぼ無い。
業界人は、一般論としては業界の悪習を批判します。
しかし、その話題が終わり、実務的な話になると、今までの悪習の通りに仕事をします。そして、それを変革しようとする人は排除されます。
伝統工芸系の後継者育成・・といっても、それをやっている余裕は、制作側にはありません。現代では、流通側にも販売側にもありません。ようするに、呉服の業界自体に、既にそういう体力が無いのです。
世界的な価値を持つ西洋ブランド物を超えるほどの高価なものを売っているのに、現物を作っている現場の職人に、売上のほんの一部しか届かないという構造を直さない限り、どうにもならないのは当然の話です。
しかし、業界全体として、そういう意識が薄かったのです。・・・制作する人たちの地位も低く、収入はアルバイト以下では、やってみよう、という若い人が現れないのは当然です。
良いものを作れる人がいなくなれば、制作する人だけでなくその業界自体が滅びます。当たり前ですよね。有名ワインの販売会社があっても、ぶどうを作る人、醸造する人がいなくなれば成り立たないのと同じ事で、しかしその「当たり前」に意識が行っている人は、業界内には本当に僅かしかいません。
私は普段から「文化には寿命があり、その時代に必要無くなったものは消えるのが自然であり、無理に延命させるのは非文化的行為」と言っておりますが、それは「当事者が全く抗う事なく大人しく消えるべき、という意味ではありません」。文化は生命体ですから、死ぬ事に抗うのが自然です。それでも消滅したなら、寿命であった、という意味です。
私は、経済的に、時間的に、体力的に、全く余裕はありませんが、なるべく弟子を入れ、個人で成り立たせる事の出来るスキルを得られるように育成しておりますが、私個人の経済力ではどうにも発展性がありません。
「後継者育成も含めた、創作活動そのものに文化的投資を提案し、一般から資金を募集しなければならない時代に入ったな」
と思うも、しかし私個人には社会的な認知が無いため信用がありません。
また、私の提唱する事、作品そのものが一般的ではないため、むづかしいのです。
本当にむづかしいものですね。