モルトウィスキー・コンパニオン
「遅くまでお付き合い頂きありがとうございましたー」と締まりかけのドアに向け大きな声で言う。念のため、酔ったからであろうか、微かに滲む去りゆくタクシーのテールランプに大袈裟に会釈をする。夜も深くなり街の喧騒も大分鎮まったからか、クライアントと別れ1人になったからか、途端に静かな気持ちになり、軽やかな酔いが廻る。一仕事終えた安堵のためかもしれない。
自分の発言に粗相がなかったか、気持ちよくクライアントに帰って貰えただろうか。数件を梯子した頭で反芻するも面倒になってもうやめた。
こんな時、さあ帰ろうかとは思わないものだ。せっかくだからもう一軒行こうじゃないか。反省会だとひとり馴染みのバーに向かう。
向かう先は、いわゆるオーセンティックなバー。バーカウンターがあり、バーテンダーがいる。その背後に並ぶ様々なウィスキーがある。様々なキャラクターのシングルモルトウィスキー達は、その豊かな香りを閉じ込めたまま静かに鎮座している。
「何にしましょうか」
「レッドアイください」
ビールとトマトジュースのカクテルであるが、さっぱりして河岸を変えて飲み直す時にはちょうど良い。いつもの儀式のようなものだ。
グラスに口をつけるや否やもう、2杯目に頼むシングルモルトをどうしようか、前方のスコッチの瓶を眺めながら、ぼんやり考えている。
ここからは誰にも邪魔されないゆっくりとした自分一人の時間となった。
マイケルジャクソンと言えば、もちろん稀代のポップスター、キングオブポップその人であるが、もう一人いるのはご存じだろうか。同姓同名であるが、ウィスキー評論家であり、私が表題に記した通りモルトウィスキー・コンパニオンという本の作者である。コンパニオンは手引きと言う意味であり、その通り様々なスコッチウィスキー、モルトウィスキーをテイストした作者がウィット溢れる表現で色、香り、ボディ、味、フィニッシュを表現しているものだ。何度も改訂版が出されているが、私は当時2000年初版、2002年3刷のものを本屋で手に取ったのだった。読み物としても素晴らしく、成り立ちや定義、フレーバーとその起源など、とても興味深く書かれており、いつかスコットランドの蒸留所に行きたいものだと夢想してしまわずにはいられない。休日などにパラパラと沢山のエチケットや地名、名前からランダムに読みだしても楽しい。次回バーで探してみようとメモしたりするのであった。
試しに、この本から、アイラモルトの<ラフロイグ(LAPHROAIG)10年>の部分を見てみると(ラフロイグ全体の説明は割愛)
「40度と43度のバージョンが市場に出されてきた。度数が強い方は少しだけより芳香」とあり
色:濃い、プリズムのようなゴールド
香り:薬品のよう、フェノール香、海草のよう、ほのかにエステルの甘さを伴う
ボディ:ミディアム、オイリー
味:海草のよう、塩っぽい、オイリー
フィニッシュ:まろやかで非常にドライ
86点
とある。このような調子で旅行で、仕事終わりに、出張先でも、宝物を探すような目的意識も芽生え、知らないバーへもこの本で覚えた銘柄を思い出しては、ひとり愉しんでいたのである。また2杯目以降、バーテンダーよりお好きなんですねと話かけられると「実は・・」と、この本の事もあって、楽しく呑んでるのです。と素直に白状する訳だが、「私も、(この店にも)本持ってますよ!」、
実はこんなのもあります、と珍しい物を奥から出してくれる事もあった。とある地方の出張先で行き当たりばったり行った店では、マスターから、これは私の奢りですと一杯ご馳走になったこともあった。その店では、他の酒が多く飲まれ、マスターも好きなモルトウィスキーはあまり出てなかったらしく、こんな話が久々できて嬉しいんですとのことだった。嬉しいのはこちらの方なのに。
冒頭のような私が通っていたバー「タリスカー」はもう移転して無くなった。
今では呑む街も変わったけども、モルトウィスキーは変わらず、その芳香が放たれるのを今夜も静かに待っているはずだ。また久しぶりに本を読み直して探しに行こう。