部活をやめた二十年後、会社をやめていた
昔から集団行動が苦手だ。
自分ではうまく溶け込んでいるつもりでも、集団の側からはそう見えないらしい。
「確かに何だかおかしい」という自覚もあるのだが、ベターな方法にはいつも失敗してから気付く。
部活動必須の中学校だった。
なんとなく入った女子生徒ばかりのとある部活動が苦痛の種と化すのに、そう長い時間はかからなかった。
技術のある同級生たちは、とにかく本当に上手かった。どこそこの大会で最優秀賞は当たり前、というレベルの子もいた。
私なぞ鼻くそ。好きなものへの気持ちがしぼみかけた。
だらだらと周囲に都合を合わせるのも嫌だった。
大して話が合う訳でもない、幼稚園や小学校以来の顔なじみ程度だった「友達」とつるみ、決められた課題に従ってそれっぽいことをし、スクールバスまで時間の埋め合わせをして、夕暮れの中、のろのろと肩を並べて帰っていく。
一人で過ごしたほうがよっぽどましだ。
そう判断した私は、「友達」に「今日部活休むから部長に言っておいて」と毎日のように宣言し、放課後はさっさと帰るようになった。
帰宅してからは、両親が仕事から帰ってくるまで、自由にイラストを描いたり、文章を書いたり、テレビを見たりして過ごした。
ある日、職員室へ呼び出された。
初めて会う顧問だという女性教員は、爬虫類のような顔をしていた。
呼び出しは「部活動の無断欠席」のかど。「友達」を通じて毎日欠席連絡をしていたつもりだったものだから青天の霹靂だった。
今思えば、入部必須のはずの部活動を私が連日のようにサボるので、顧問の先生に告げ口されたというのが真実だろう。週何回か部室に顔を出してお茶を濁していればこんなことにはならなかったのだろうが、そこが私の「上手くやれない」という欠点で、やっぱり後になって気付くのだった。
反省文を書かされた気がするのだが、懲りなかった。
可愛らしく降伏した振りでもしておけばよかったのに、部活には引き続き顔を出さず、放課後の自由時間を楽しんでいた。
実力行使されることも出てきた。
下駄箱のところへ行くと部長が待ち構えていて、通学カバンをつかまれ、帰れないように引っ張られる。カバンが千切れそうになるほど抵抗して踏ん張り、結局諦められた。
帰ろうと廊下へ出ると、部員全員が廊下の壁に沿って立っていたこともあった。
部長が進み出てゆく手を遮る。
「そんなところに立ってなにしているの?」
通りすがりの誰かが怪訝そうに訪ねると、とある部員が私に聞こえるように「優木さんを迎えに来たの」と声を張り上げた。
怒りと恐怖で震えがくるほどだったが、頑として教室を出ず、結局彼女たちは諦めて帰っていった。
年一度の部活動会議の日。全部活動が会議だったことから、帰る姿が目立って担任教師に注意され、帰れなくなったことがあった。
忘れもしない、女子トイレの個室に籠城したあの日のことである。
和式便器を眺めながらさくらももこのエッセイ本を読んだ。
案の定、追手の部員が迫った。
「あの個室、一つだけ閉まってるね」と何度もうろうろされてしつこいので、白旗を挙げてしまった。
久しぶりに部員の面々と顔を合わせた時の針のむしろ感は筆舌に尽くしがたい。
半ばつるし上げのような形で「部活動において守るべきこと」について発言を求められ、ふてくされて「なるべく出席するようにする」と、心にもない発言をしたら「はあ~っ?」と大ブーイングが起こった。
「パソコンで文章を書く練習がしてみたい」という内容の作文をワードでしたためて提出し、「原則認められない」転部の許可が下りたのはそれから間もなくのことだった。
ほぼ帰宅部で、いわゆるオタクな男子生徒ばかりが所属するパソコン部に転がり込んだのだ。
私が学校や教員たちを動かしたというより、厄介払いされたというのが本当のところだろう。
実は新入生の頃、パソコン部の見学に行ったことがあった。
小学校で一緒だった苦手な男の先輩がいたことと、「女子だ…」「入ったら初めてだね…」という噂のひそひそ声に耐えられず、しり込みしてしまったのだが、あの時パソコン部を選んでいたら一連の大立ち回りを演じることもなかったかもしれない。
晴れてパソコン部員となった後は「無断欠席」などと言われることはなかった。
前所属時代の悪評が知れていたからかもしれない。
もちろん前所属からの干渉も一切なくなった。
結局パソコン部には卒業するまで一度も行かなかった。
現在、母校の中学校には正式な「帰宅部」がある。
あれから二十年。
部活動に馴染めず飛び出した私が、今度は会社に馴染めず退職した。
部員たちの告げ口や、腕力や、つるし上げにありがたく服従していれば、社会にすんなり馴染み、当たり障りない会社員生活を送ることができていたのかなあなどと、皮肉を込めて想像してみる。
あの頃の私は何故あんなにも図太く振舞えたのだろう。
少なくとも「周囲から良く思われよう」という気持ちはあまりなかったように思う。
勉強も習い事もあまり真剣に取り組んでいなかったので、母や祖母からは評価も期待もされていなかった。
かえってそれが本音を出しやすくしていたのかもしれない。
「敵」も多かったが自分を貫けた時代だったのではないか。
長年周囲から良く思われることに神経を傾けてきた人間が、いきなり「良く思われなくたって構わないや」とは思えない。
せめて新天地では新しい自分になりたいと願うが、気の持ちようを変えなければまた同じ理由で苦しむのは明らかなこと。
年齢は二十歳も違うが、自分はあの頃とちっとも変わっていない。
同じ一人の人間。
それを希望にしたいのだ。
…
2020年12月8日追記
先日読了した下記の本で、筆者が学生時代、指導の厳しい部活動に入っていたため、夫が娘を厳しくしつけるのは当然の事だと思ってしまったという記述があり、印象的であった。