「みんな仲良く」の呪縛だったのかー!
友達100人できるかな と同じかもしれない。
仲良くなりたい、と思う人と仲良くなるのと、
みんな仲良くの前提で、仲良くなろうとする違い。
仲良くなりたい、という自発的な思い
仲良くするものだ、という決まり
いい子って、「みんな仲良く」前提なんだな。
自分の好みや好き嫌いを感じたり出したり受け入れられたりする機会がほぼなかったかか、あっても「そのくらい我慢しなさい」とか「そんなことで」って、ガマンを強いられたり、気持ちを軽くみられてきたのだろうな。
ずっといい子のままだったら気づかなかった。
ずっと自由奔放だったら気づかなかった。
自分よりも相手に合わせるところ、
主張すると協調ないと言われて悲しかったこと
本音を言うと仲良くできないかもしれないと、衝突を避けてきたこと
子どもが目の前でする
嫌いな人の話
ころころ変わる主張
じぶん本位な話
けんか
いちいちそわそわして、治めようととしていたのは、私ができないことを見せてくれてからだ。
いいなぁ。キライって言えて。
いいなぁ。思うままに好き勝手言えて。
いいなぁ。本音をぶつけ合えて。
いいなぁ。自由で。
て思ったら
自分のスキにキライに正直になっていいよー。
いつまでいい子してるのー?
それイヤだったのに、私たちにもするのー?
かっこつけるのやめたらー?
と子どもから感じるメッセージ^^
「みんな仲良く」しなきゃ。を忠実に守ってきたから、
まとめ役やお世話役になることが多かったんだー!
やりがいもあったし、受容の間口は広がった。
輪を大切にすることも、どうしたってはみだしがあることもわかった。
よし。もう十分。学んだ。体験した。
ということで、嫌いなものはキライでいい。
キライなままどうするか。
「~しなきゃ」は誰かの信念をもらってないか。
「~したい」は自分の声。
好き嫌いに鈍感になっていたところからの気づき。
好き嫌いやりたい・やりたくないにかかわらず、これまで通りパワープレイで行動することはできる。が。心の声に気づいてしまってね。
好き嫌いを、あるよね~って肯定するところから受容していこうね。
誰かのルールに違和感を感じたら、その声をきいてみる。
わたしを幸せにできるのは、わたし。