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【読書記録#139】鹿鳴館の貴婦人 大山捨松
<2024年12月17日 インスタに投稿>
鹿鳴館の貴婦人 大山捨松 - 日本初の女子留学生
久野明子 著
「日本初の女子留学生」ということばに惹かれて、購入したのだけど、表紙を見て、実家に本書の単行本があったのを思い出した。
私が留学をした理由は、中学の時、国連があんな真っ赤な組織だとは知らず、国連で働きたいと思ったのがきっかけだったのだけれど、私費留学だった私と違って、彼女は若いながらも、岩倉使節団日本初の女子留学生として官費で学ばせてもらっているという自覚と責任感や使命感を持って学んでいる姿や、気概を色んな場面で感じられた。
また、読み初めの頃、「捨」いう漢字が名前に使われていたことを不思議に思っていたのだけど、幼名は「咲子」で、名前の由来がアメリカに留学する際に、「これがお前との永の別れかもしれない。私はお前を捨てたつもりで遠いアメリカにやるが、お前がお国のために立派に学問を修めて帰ってくる日を毎日心待ちにして待っているよ」と送り出したのが改名したきっかけであることを知り、御母堂の深い愛を感じた。
名門バッサー女子大学にて学び、学年3位という優秀な成績を収めて、日本人女性として初めて学士号を取得し。帰国までの数ヶ月間で看護も学び看護婦としての資格も取得。
帰国は、日本赤十字社の後援団体日本赤十字篤志婦人会の発起人とな理、慈善バザーなどを通じて資金調達をして、看護学校を設立したり、以前は、看護の仕事は男性のする仕事であったが、看護婦という仕事を確立させ、看護婦の地位を向上させることにも尽力された。
また、華族女学校(後の学習院女子中・高等科)の設立準備委員になった際にはホームステイ先のホストシスターであったアリス・ベーコンをロールモデルとなってもらうべく、日本に呼ぶなどしたり、津田塾の前身である、女子英学塾の創設にあたっては、津田梅子の影や日向となってサポートし、日本の女性の地位の向上のために、看護婦養成だけでなくと女子教育に大変尽力された。
もし、捨松がまだこの世にいたら、今の日本人女性の振る舞いや言葉遣いに酷く落胆するだろう。
現代に生きる女性は、捨松のような明治の女性から学ぶことが多くあると思う。
おすすめ。
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