日記「余白と空白」
師走の始まり。夜空は必要な余白を残しすっかり冬の星座でにぎやかになる。東の空からオリオンが昇ると冬の到来を視覚的に感じる。東京の田舎とはいえ住宅街から確認できる星は星空の一部に過ぎない。槍ヶ岳のてっぺんにごろんと寝転んで満天の星空を眺めることが夢のひとつだけれども、住宅街からみえる程の星空がちょうど良いのかもしれない。満天の星空では星座を確認できる自信がない。たぶん夜空にも余白が必要なのだろう。
あらゆる文書、書類や本、そして人の心や頭や人生にも余白は必要だと思う。余白は余白としての意味を持つ。例えば住宅街から星座が確認できる程度の夜空みたいに。私の余白はなんだろう。喩えれば都会のネオン街からみる星ひとつみえない夜空のようなものなのかもしれない。それは余白ではなく空白だ。私が余白と思っているものは空白なのだ。
空白は埋める必要がある。放っておいたら虫歯みたいに穴がどんどん大きくなって空っぽになってしまう。空っぽになる前に埋めなければならない。
今夜は眠れそうにない。オリオンを眺めながら空白を埋める方法を考えようか。それから日課の本を読む。久しぶりに最果タヒさんの詩集「夜空はいつでも最高密度の青色だ」を読もう。余白のとり方がとても良い詩集だ。