教養の深さが活きる時
先日、「みんなが使えるFACT FULNESS」のイベントに参加してきた。
ここ最近はだいたい月2回くらいnoteのイベントにお邪魔しているのだけど、その中でも特に行って良かったなぁと思う度合いが強いイベントだった。
みなさん色々イベントレポはあげているので内容についてはそんなに書かないけれど、物凄くためになることが多かったように思う。
私は教養学部の出なのだけど、教養というものが社会に出てからどう役立っているのか、実感としてずっとわからなかった。
仕事にも私生活にも、結局関係ないのではと思ってしまうことすらあった。
教養は日々を豊に生きるため、例えば旅行に行った時に歴史的背景が理解できるとか、その程度なのかなと、大して必要ではないのではないかと、思ってしまうことが多々あった。
でもそういう部分が今回のイベントでクリアになって、教養はとても大切だしこれからも深めていきたいと思えるようになった。
深津さんの話で、データを抽象化して相手のニーズに合わせたものに置き換えるといったものがあった。
データだけ見て相手のことに置き換えるまではなんとかできたとしても、歴史的なものや文化的背景から抽象化していく工程は、深い教養があるからこそなせる業になってくる。
受け入れやすい言葉、相手に伝わる表現に変換するために通る道筋として、教養があることが大きなポテンシャル繋がる。
教養があることでできることって、とっても知的で魅力的だと思った。
最早教養は何も意味がないのではと思い続けたここ数年が、間違っていたのだと良い意味で思えた出来事だった。
教養の深さはあらゆることにきっと繋がっている。
今見えていないところでも、きっと活きている部分は色々とあると思うのだ。
だからこそ教養を深めることを投げ出さずに、知的な自分をつくりたい。
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