お金を使うことへの恐怖心
休職生活も4ヵ月目、お金を使うことが果てしなく怖い。
きっと本来であれば、私はこれに関してものすごく心配しなければいけない立場の人ではない。
ここまで実家暮らしで貯金残高もそこそこあるし、生活がまわらないなんてことは、ないはずだった。
問題はないのに何を行おうとしようにも「働いていない自分がお金を使っている」「収入がないのに消費している」というこの感覚それ自体が、とにかく恐怖心を駆り立てる。
遊びに行くこともカフェに入ることも怖く、調子を整えるためにジムに通おうにも認知行動療法を受けようにも、それに払う金額を考えると簡単に諦めてしまう。
それは元気になって働ける自分になれてから、その対価でいただくサービスだ、と。
まだ暑かった頃に申請した傷病手当金は8月の分すら音沙汰なくて、私はもらえる資格がなかったんだろうかとすら思えてくる。
"生活するための取り分"として今まで積んできた中のお金は、多分今月いっぱいくらい持つか持たないか、という感じだ。
"貯金するための取り分"として扱っているお金があるから、それを崩せばいいだけではあっても、抵抗感が凄まじい。
それはもともとミラコスタで結婚式を挙げたいというどうしようもない大学時代からの憧れがあって、金銭的理由でそれを諦めたくないがために、それに向けて貯めてきたお金だった。
そもそも結婚するかすら、わからないのに。
友達とのちょっといい女子会や恋人の誕生日、妹の誕生日など、お祝い事やプレゼントに使うお金を考えると、恐ろしくなる。
そういう話はしたくない・すべきでないと思っているし、誰にも打ち明けていないけれど、これは確実に首を絞めてくる。
でもその付き合いを今やめることは将来的にマイナスだろうし、人付き合いの範囲をこれ以上減らすわけにはいかない。
休職する前は、休職以外の選択肢もそれによって起こる弊害も、何も考えられていなかった。
ただ現実からなんとかして逃げることで頭がいっぱいだった。
次に進まなければいけないステップの決断を目前にした今、問題の大きさにまた呑み込まれてしまいそうになる。
私の「早く働きたい」は、金銭面と経験値として周囲への遅れをとることに対する恐怖心がメインだ。
解決するには働くしかなくて、働くためには復職に前向きになれない以上新しい働き口を見つけるしかない。
私の"早く早く"が先走って余計に自分を苦しめる結果にならないだろうかと、頭の中の冷静な部分が冷ややかに私を戒める。