目標を追う人と、目標を持たない人
「それならそれでいいんじゃないですか」
新宿駅のファーストキッチンで、4年ぶりに大学の後輩と会った。
同じ大学の同じ専攻、同じサークルに入っていた後輩で、彼は臨床心理の大学院を中退している。
なんとなく話しやすくて人生ちゃんとやれてる風に見せている人の選択肢4択の中から、一番最近SNSに投稿していた人を選んだ結果だった。
彼の話は極論だ。
ふざけすぎてしまうから臨床の道に進むことを辞めたという彼のふざけた物言いは、久しぶりに話す私にとってとても楽しく、珍しくぶっ通しで何時間も話し続けた。
負けたくないから頑張るけどその先の目標なんて自分もないし、自分の基準で選別できているならそれはそれで自分を持っているからいいのではないかと、話を聞いている限りやりたくないことがはっきりしているのだから、それならそれでいいのではないかと、諭された。
私の恋人は、これはこれでまた極端な人だ。
彼は目標をかなり明確に持って、そのための行動を細分化して実行していくというプロセスを大事にしている。
彼の意見は正しいと思うし、このやり方だからこの人は折れないという部分もかなりある。
だけどこれはその人の考え方の問題でしかない。
きっとどちらもありだけど、私はどちらかというと後輩寄りの考え方の方が身の丈にあっているのかもしれない。
負けず嫌いだから目の前のことをやっていれば、結果はそれなりについてくる筈ではある。
私はその前に破綻してしまったけれど、もう一度やり直せるチャンスをもらえるのだから、一旦そこに注力するのが最適解なんだろう。
その中でどうしていくか考えて選別だけきっかりとやっていけたら、その先に歩ける自分があるだろうか。
二人の極論だけ並べてみても、そのどちらかが自分の考え方そのものになるわけではない。
ただ考え方を知ることで見直せることや、じゃあ自分はどう考えているのか振り返る視点をもつことには繋げられる。
小さな希望を叶えていけば望む未来に近づけると、確信は持てなくても弱く信じて生きていこう。