曖昧でいい
小さい頃から曖昧なことが苦手だった。ハッキリした態度でないことは、少しざわざわした。でも、大人になって、それが処世術であったり、誰かの為になったりする場面に多く出会った。以来、曖昧にしてもいいことは放っておくようにしてきた。
以前、「本当に嬉しい時は、あなたは笑わないんだね」と指摘されたことがある。その通りだ。本当に嬉しいことが起きた時、それを噛み締め、次の展開を予想してしまう癖がある。石橋を叩いて渡るように、嬉しいことが現実であることを確かめなければ気が済まない。一方で、大事にしているものから少し外れたものに関しては、笑顔を見せる。
気味が悪いだろうか。
生活にゆとりが生まれてきて、大事なものが何か、考える余裕ができた一方で、笑顔がどんどん減っていく。向き合いたいけれど、向き合えないことが私の時間をすり減らしていく。
そんなとき、一旦曖昧さは私の味方になってくれる。ぼーっとして、明日の自分に、昼寝後の自分に、託す。逃げたっていい。逃げ癖はあったっていい。
今はそんな気分。