ある家族の物語として読む 「隆明だもの」
不勉強で、吉本隆明氏の名前は知っていても、著作は一冊も読んだことがない。
でも、長女のハルノ宵子さんが書いた「隆明だもの」の書評をどこかで読んで、興味を持っていた。
いやはや。
ある世代の人々から「戦後最大の頭脳」と言われた人のご家族には、一般家庭には起こり得ないようなことがこんなにもたくさんあったのか。
父が有名人だから、特別な頭脳を持った人だから、ということだけでは片付けられないあれやこれやの中で毎日過ごすご家族が一般家庭とは違った生活を送る、というだけでなく、夫婦関係、親子関係も独特だ。
この家庭で育った姉妹お二人には想像もできないような葛藤や悩みもあったようで、
「ものを書こうとか絵を描こうと買って、本当に楽しい家庭に育った人は思うはずないだろうから」
というばななさんの言葉を読んでも、姉妹の突出した才能の開花に能天気に感嘆することはできない気がする。
それにしても、置いていく親との関係は、形は違っても、どこの家庭にも訪れるものだ。
ただ、吉本家の場合は、いろんな意味で両親が高齢になってからの介護も一筋縄ではなかったようで。
我が家はわたしの母は病気が見つかってから亡くなるまでが早かったが、父については介護が必要になってから数年がたつ。
母の病気が発覚して入院するまで、母が自宅で老老介護していたが、父は介護認定も受けていたし、特別に荒れることもなかった。
もちろん、それは母が献身的に介護していたおかげも大きかった。
むしろ、わたしや妹が
「お風呂介助とか、自分で頑張らずにサービスを使って。
なんならお金は出すから。」
といっても、頑として譲らなかったのは母の方だった。
物理的には大変なことも少なくなかったと思うが(実際に母からも聞いた)、比較的穏やかな介護生活だったと思う。
吉本家の場合、娘2人、特に長女のハルノさんが両親と同居していたから成り立っていたことも大きく、
「自分が同じ立場で、いろいろな意味で難しい両親2人に、こんなにも尽くすことができるだろうか」
と思わずにはいられない。
妹のばななさんも経済的に両親を支え、「向き不向きをカバーしあってた」という。
わたしは同居してない、すぐには駆けつけられない東京でくらす長女として、何ができているのかと考えずにはいられなかった。
父は今は施設で過ごしているものの、通院の目的も会ってに月に1、2度は自宅に外泊して過ごしている。
わたしは東京に住んでいるので、実家の家族に会いにいくのは数カ月に1度。
札幌の妹が献身的に尽くしてくれているから父の今の生活が成り立っているのだ。
こんな風に自分のことを重ねながら読んでいたので、ハルノさんとばななさんの対談も興味深かった。
(この姉妹も7歳差だが、わたしと妹も7歳差なので、勝手に親近感を持った)
お互いに考え方や感じ方が違う部分があるとしても、難しい両親と向き合うために、姉妹の絆が強まったこともあったと思う。
お互いがいたことが、姉妹にとっての幸運だったのだろう。
それにしても、隆明氏が亡くなる数カ月前の夜の「ノラかっ」事件は、胸に迫る。
毎日の着替えすら嫌がっていた人が、1人で外出する支度をして黙って出かけて行こうとして、玄関のたたきで転がっていた父の姿。
「こいつはー野垂れ死にするつもりで出て行こうとしたな」
というハルノさんの言葉に背筋が凍った。
「情けなくて涙が出た。『お前はノラ猫かっ!この家はお前にとって、そんなに安心できない場所なのかー』」
という、絞り出すような言葉も切ない。
かなりびっくりするようなことも書かれていて、読んでいて気持ちの上下も大きかったが、父への強い感謝と尊敬とともに書かれた言葉には愛を感じ、あたたかな読後感が残った。