今、多くの人に見て欲しい映画「教育と愛国」
6月1日は、映画の日。
今、わたしがおすすめしたい映画が、「教育と愛国」です。
わたしが行ったのは70席弱の小さな劇場でしたが、ほぼ満席。
それだけ関心が高いということなのでしょう。
冒頭に1945年の米国の「汝の敵、日本を知れ」という国策映画の一部が流れるのですが、それは当時の日本の教育を描いたものでした。
そこで紹介される「当時の日本の教育」が今の日本の教育と非常に似ていることに、ゾッとします。
この映画を見ていると、政府は「愛国」の言葉の元に国にとって都合の悪いことは伏せて教え、国の思う通りに考え、行動する人間を作り上げようとしているのではないか、そのために教育を変えようとしているのではないか、としか思えないのです。
この20年余りの間にこれほどまでに政治が教育に介入し、教科書検定が骨抜きの状態にされ、政府の意向に沿った形の教育に変えられていたとは。
この映画で何度も出てくるのが「反日」「愛国」という言葉です。
辞書で「反日」と引くと、「日本や日本人に反感を持つこと」とありますが、以前は「反日運動」「反日感情」のように他国が日本に対して持つ感情や行う行動に対して主に使われていたように思います。
でも、ここ数年、政権与党が「反日」と言う言葉を使う対象は戦争中の慰安婦問題や強制連行など、日本が加害者となったことを教科書に記載したり授業で教えようとすること、つまり、「日本にとって都合の悪いこと」をする人、団体。
それらの人や表現を「反日」として排除したり、表現を変えさせようとする。
その方法も執拗です。
戦争中に日本が被害者であると同時に加害者でもあったことはこれまで歴史学者の方などが研究し、明らかにしてきたことでした。
わたしたちは二度と愚かな戦争を繰り返さないために、歴史に学ばなくてはいけない。
かつてナチスが誕生したドイツでも、自国の負の歴史をきちんと教育していると言います。
それなのに、日本が加害者となった事実を書く記述を
「自虐的だ」
「日本人としての誇りを持てない」
と考える人たちが現政権で教育に大きな影響を与えていることが、非常に恐ろしい。
保守的な立場でそのような発言を続けている東京大学名誉教授の伊藤隆氏は
「(歴史から)学ぶ必要はない」
とさえ言い放つのです。
2006年に第一次安倍内閣が発足してから、教育基本法が変えられてしまいます。
教育が戦争に加担してしまった過去を踏まえて作られた教育基本法には
「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。」
と明記されていました。
「国民に対し直接に責任をおつて行われるべき」
の部分は、教育の政治からの独立性と、教育に関する政府の役割が間接的および限定的であることを示す大事な部分だったのです。
でも、2006年の改定ではこの部分が
「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべき」
と書き換えらえてしまうのです。
2012年のタウンミーティングで安倍氏は
「(教育に)政治家がタッチしてはいけないものかって、そんなことはないですよ。
当たり前じゃないですか」
と言い放っていますが、その言葉が表に出る前からも、政治の教育への介入が始まっていたのです。
そして、その流れは慰安婦問題を研究している学者への誹謗中傷や沖縄の基地問題に取り組んでいる学者の日本学術会議の任命リスト外しなど、様々な問題にもつながっています。
日本国憲法第二十三条には
「学問の自由は、これを保障する」
とあります。
国民が自由に学び、研究し、政府の間違いを指摘することも、認められてしかるべきなのです。
この映画で様々な衝撃的な事実を知り、
「こんな状態で教育が改悪され、日本の辿ってきた歴史を知らない子供達が増えたら。
国に都合の悪いことを研究したり、発言する人物を政権が排除するような流れが続いたら」
と思うと、背筋が寒くなりました。
そして、映画の終盤には、憲法論議についても触れる安倍氏の姿がありました。
教育基本法の大切な部分が変えられてしまったように、憲法を政府にとって都合の良い形に変えられてはいけない。
この映画は、今後も日本全国で公開されます。
本当に、たくさんの方に見ていただきたい映画です。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。