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表現物にも“人格”がある?


こんにちは!yukiです。

今回は、
「表現物のもつ“人格”」
について考えてみたいと思います。

人間に人格があるように、
人間の表現物にも人格がある、

という考え方があります。

自分の人格と表現物の人格が
大きく離れていると、

「どうしてか分からないけど、
 取り組み続けるのがしんどい…」

となってしまう可能性も。

何か表現活動をされている方には、
参考になるかもしれません。


表現物には“人格”がある?


「表現物のもつ“人格”」
について考えたきっかけは、
写真家、ハービー・山口さんの
仰っていた次の言葉でした。

「人間には人格が備わっているように、
 写真にも人格や品があります。
 あの人は信用できない、
 あの人は信用出来る、
 などの人格が写真にもあるのだと思います。」

確かに写真作品を見ていると、
写真のもつ“品格”を感じとれます。

“品格”を形成する元となるのは、
やはり“撮影者がどんな人間であるか”ということ。

写真作品には、
さまざまな要素が詰まっています。

撮影者が何に興味を持っているのか、
世界をどう見て、どう関わりたいのか、
どんな精神性を持っているのか、
などなど…

つまり、
「どんな人間なのか」
写真に映るということです。



「どんな人間なのか」が映るのは、
写真に限ったことではありませんよね。

音楽演奏もそうだし、
文や映像やデザインや絵画など、
さまざまな表現物に当てはまると思います。


僕はピアノを弾きますが、
楽器演奏ではそれが顕著です。

まだ喋ったことのない人の演奏や所作から
人柄を何となく予想してみると、

あとで話したときに
その通りのことが多くて
びっくりしてしまいます。

おそらく演奏中は、
人となりが素直に
現れてくるからでしょう。

“仮面をつけること”もできる。
有益な一方で、注意点も


何かを表現するとき、
そこには人格が映ってきますが、
“仮面をつけること”もできます。

つまり、
“別の人格を演じる”
ということですね。

お仕事で表現活動をされている方は、
お客さんのニーズに応えるためにも、
大切な能力でしょう。

お仕事でなくとも、
別人を演じることによって、
良い影響を受けられることがあります。

例えば、以前の記事で、

「ステージが高い人の
 視座を借りてくる」

というお話しをしましたが、
これは良い効果を実感しやすいです。

(参考に貼っておきます)



その一方で、
“演じている人格”
が本物だと勘違いしたり

“本来の人格”と
かけ離れた世界観を作ったりすると、

維持するために消耗してしまうことも。

先ほどのハービーさんも、
次のように仰っています。

「人格と作品は一致すると信じたいですね。
 もし人格と作品が別だとすると、
 いつか作品に施したメッキが
 剥がれてしまいそうです。」


誰しも、
すでにどこかしらで
“演じている”場面はあるはず。

それに加えて、
メッキが剥がれないようにと
心の負担が増えるのは大変です。


「こうありたい」の追求も素敵ですが、
本来の自分を生かす方向性にするのも
ありじゃないかなーって思います。

本来の個性や魅力を磨き、
それをベースに表現しつつ、
たまにはアクセントで仮面をつけるのも
なんだか楽しそうですよね。


また、メッキを作るのって、
いわば小手先のテクニックです。

テクニックに頼りきらず
ベースとなるものを育てていって、
それが自然と滲み出るような
塩梅を目指したいなー、と。



ちなみに僕のnoteは、
「自分の人格と一致させよう」
と決めていました。

しかし書くのに少し慣れてきて、
ややブレてきたな、と思うこともあるので、
自戒を込めて書かせていただきました汗


だいぶ抽象的になってしまいましたが、
ご参考になることがありましたら嬉しいです。




最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

それでは、今日も良い1日を!



(今回のカバー写真は、
 軽井沢の朝でした!)


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