母なる自然よ わたしはそれを担います
第24週の記憶。 それを探る試みです。
一年間のルドルフ・シュタイナー超訳に挑戦中です。
今週は、あなたの意志のなかに、母なる自然、大地、地球を担ってゆきなさいというメッセージです。調和に向け、思考と意志が働き、確実な自己感情が育ち、自分自身を確固たるものへと変容させてゆくのでしょう。時代的に戦いの剣はさやに納め、強き想いをもって浄化への道を探ってみてもいいのではないでしょうか?
では、読み解いてまいります。
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大天使ミカエルの声
母なる自然よ
自分の意志でそれを担う。
この炎のような強い想いで
心の衝動を強め
自分自身の感覚を生み出し
わたしの中のわたしを支えてゆく。
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戦う天使
ミカエルは天使といえど、残されている絵画をみると、長い剣をもち、勇ましくというより華麗に魔物を踏みつけているものが多く残されています。天使が善と悪とに分かれて戦ったとき、敵対するサタンを打ちのめして天国から追い出した。など、汚れたものを浄化するという力が信じられてきたようです。
また、聖ミカエル祭は、日本で、ほとんどきかないお祭りですが、西洋では昔から大切な日とされてきたようです。秋の収穫、新学期、商売の決算日など、さまざまな節目に感謝し、3つのG、手袋(glove)、ガチョウ(goose)、生姜(ginger)で祝われるそう。クリスマスやハロインと似ていますね。
こよみの上では、この日を境に、季節とともに変化をしっかりと受けとめろ!ということでしょうか。さらに、シュターナーを掘り下げてゆくと“天使”は概念ではなく、本当に実在するのだ。と考えられています。おそらく、大いなる全宇宙を構成する一つの重要な要素としてとらえられていて、私の存在とそれらの関係は、確かな裏付けの上に確立されているとして扱わなければならないのです。
春から夏にかけて自然との一体感をもつことに焦点が当たっていました。そこから、この季節になり、自然からの恵みを大切にしてゆくことへの切羽詰まった重要性が投げかけられてきているように感じますね。
この時代…。
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木を植えたアーティスト
今週の詞を読んでいて、ひとりの重要なアーティストの名が浮かんで頭から離れなくなってしまいました。ヨーゼフ・ボイスです。
ボイスは、ドイツ人の超有名な現代美術界のスターです。拡張芸術や社会彫刻などといったコンセプトの作品を追求しました。実は、シュタイナーにもそうとう感化され影響されていました。黒板絵なども描いていますし、後の自由大学構想など、シュタイナーの継承者のひとりであるといっても過言ではないでしょう。
晩年のプロジェクトである“7000本の樫の木”は、カッセル(ドイツ)で開催されたドクメンタ 7(1982年 都市型の展覧会)で発表されました。
美術館の前に、7000個の玄武岩が
整然と三角形にインスタレーションされました。
そして、街中に木の苗を植える度に
それぞれの木の横に美術館から運び出された
玄武岩の柱が立てられていったのです。
5年間かけて。
樹齢 800年ともいわれる生命の象徴である樫の木と、その横に立てられる物質としての玄武岩の柱は、成長と風化という、経過時間の中で起こる変化が対比されすのですね。人間のスケールを越えた大いなるものの仕業が内包されているのです。さらに、この事象に関わる多くの人々の心によって作品が完結してゆくのですね。
残念ながら、このプロジェクトの最中にボイスは亡くなってしまいましたが、人生を通して追求した拡張芸術や社会彫刻の最高傑作となったのです。
ボイスが活動していた時代では、まだ環境問題や持続可能性などの問題意識は今ほど一般的ではありませんでした。また、“木を植えることがアートである”などという拡張芸術の意味は、アートの世界でも批判の対象だったりしたのです。しかも、“落ち葉の管理や鳥の糞が増えるではないか!”という地域住民からの大きな反対運動も起きるほどだったようです。
しかし、今週のシュタイナーのメッセージからみれば、ボイスの表現への姿勢は、自分の意志によってそれを担う覚悟があってこそ実現できたのでしょうね。当時、資金集めのために来日し、テレビCMなどにも出演したり、熱狂をもって受け入れられていたのを思い出します。
そして、この変容し続ける作品は、遠い出来事かもしれません。しかし、あなたの生活の中に、アート的、思考的、社会的な観点で、ひっそりと、その価値観が組み入れられているというわけです。すごいアート遺産だと思うのです。
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自然を守ろう!環境配慮が必要だ!と昨今、よく耳にしますよね。
しかし、置き換えて、
大いなる宇宙を守ろう!
大いなるものに対しての配慮がたりていない!
といったらどうでしょうか?
少し違和感がありますよね…。
人間というのは、どうしても自己中心的な生き物です。天使に幾つかの階級があるように、人間の心や成長にもそれに似たような段階があります。すこし上のレイヤーから眺めてみることによって、何か筋違いな部分がみえてきますよ。
すべての存在は自然から生まれ、自然に依存していますが、その事実に気づかないことは社会全体の無知といえるかもしれません。そろそろ、この社会の愚かさを認めなければいけないと感じてしまうのです。本来は、大いなる宇宙に手出しができないのと同様に、自然に手出しなどできないのです。もし、“人間の力で太陽の位置をずらせる。”とNASAが発表したら、それは止めた方がいい!と直感的に思うはず。
自然などの崇高なるもへの感動を受けとめ、感謝し、調和の中で生かされていることを自覚する“畏敬の念”を取り戻したいものです。自然に対して“手出し”できているというのは思い上がりもはなはだしく、ただの自傷行為をしているだけかもしれないですよね。
ボイスの7000本の樫の木から、40年も経っています。
太陽の位置をずらすことを目指す前に、何をしましょうか?
というのが
今週の問いのような気がします。
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必要なのは、戦いではなく浄化
アタリマエのことがアタリマエではなくなり
アタリマエに戻ったとき
感謝の心が芽生える。
感謝は、想像力と心の成長によってもたらされる
かも、しれないのですね。
それには、敵対するサタンを打ちのめして天国から追い出し浄化したという善悪、正否、白黒で認識する二元論的な考え方は過去の時代のものです。
すべてを取り込んだ上でどうあるべきか?
あなたに何ができるのか?
中庸から発想する時代へと進化してきています。
バランスのうえに成り立つ浄化を目指さなければなりません。
すべての場面で、トレードオフではなく
Win-Winの関係をつくらなければいけないのです。
もしくは、取引しない選択。
浄化は単なる物質的な過程ではなく、心の探求であると位置づける必要があると思います。そのために、あなたの内面を強い意志で鍛え、外界との調和を実現するために、暮らしの随所で探求されるべきなのですね。
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ネイチャーポジティブ(自然再興)という
コトバを耳にしたことはありますか?
これは、自然を回復軌道に乗せるため、生物多様性の損失をくい止め、
反転させるアプローチを指します。
今の地球は、過去にはないスピードで生物が絶滅していくなど、いわゆるマイナス状態です。この状況から、これまでの自然環境保全の取り組みだけでなく、経済から社会、政治、技術までのすべてにまたがって改善を促していくことで、自然がプラス状態にしていこうというのがネイチャーポジティブのコンセプトです。
2020年を基準として、2030年までに自然の損失をなんとかくい止め、
2050年までに完全な回復を達成する”という世界的な社会目標だそうです。
個人も組織も社会全体で取り組むべき課題なのですね。実際に、自然の損出によって経済的にもダメージを受けることがわかってきているので、このような活動に拍車がかかってきているようです。
その他にも、“カーボンニュートラル(脱炭素)”。 温室効果ガスの排出量と吸収量を差し引いて実質的にゼロにすることを目指す取り組み。“サーキュラーエコノミー (循環経済)”。大量生産・大量消費・大量廃棄が一方向に進むリニアエコノミー(線形経済)に反して、リユース・リデュース・リサイクル(3R)の取り組みに加え、資源投入量・消費量を抑え効率よく経済を回してゆく方向へと進んでいます。
そして、自然は、あなたの母なる存在です!
に、戻ってきますが、社会や経済がそちらに向かうためには、
アートや生き方の価値観もそれらにシフトしてゆくべきかもしれない…
と少しは感じてほしいと思うのです。
すべては、美意識や感覚の問題かもしれなのです…。
ボイスは、政治と関わることで批判されました。
しかし、本質はそこではないはずです。
自由さから、未来の社会秩序を学べるといいですね。
あなたは表現者です。
自然や社会を洞察力をもって観察することから、
感覚し
心と意志を育みましょう。
そうすれば
大いなるもののインスピレーションや
メッセージを受けとめられるはず。
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シュタイナーさん
ありがとう
では、また
Yuki KATANO(ユキ・カタノ)
2024/09/29