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毎日、Wikipedia #12「株仲間解散令」
みなさんこんにちは、結城です。
「毎日、Wikipedia」12日目の今回は、株仲間解散令についての項目を読んでみました。
え、なにこれ?という初めての方は以下の記事をお読みください。
株仲間解散令、歴史の授業で習った気がしないでもないですね。
それではまとめていきます!
株仲間解散令のWikipediaを読んで
株仲間解散令は、その名の通り株仲間(商工業者の同業者組合)の解散を命じた法。
物価を引き下げることが狙いだったそうです。
水野忠邦が行った、天保の改革の頃の1841年に施行されました。
僕はこの項目を読んでみて、思ったことがあります。
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そうです。酷評されているのです。
僕の記憶が正しければ、歴史の授業ではそこまで酷評されていなかったと思います。
今回は、その酷評が面白かったのでまとめてみました。
遠山景元
「株仲間を禁止したことで、資金融通が停滞する一方、物価は下がらなかった」
「物価は下がらなかった」。当初の狙いを全く達成できていません。
脇本祐一
「天保の改革は改革という名の『破壊』で、解散令は天保の改革で失敗の最たるもの」
ついに「破壊」とまで言われちゃいました。
さらに「失敗の最たるもの」。厳しい追撃が水野さんにクリティカルヒットです。
北島正元
「解散令が諸藩に受け入れられなかったのは、商人の独占に対抗して(株仲間のこと)生産者たちが作り出しつつあった新しい領内市場を、藩が専売制の強化を通じて掌握していこうとしたから」
「その結果、藩経済が全国市場から独立していくようになり、全国市場を強化しようとしていた幕府の思惑通りにはならなかった」
いろいろ難しいことを書いていますが、大事なのは太字の部分だけですね(完全な誘導)。
大口勇次郎
「発令直後は混乱が生じたが、長期的に見れば、流通上の規制緩和になった」
「地方の産物や、藩の専売品を中央市場に流入させる契機となった」
おおっと!
大口さんは前のお三方とは違い、解散令を賞賛しています。
これだけでなんだか優しい方に見えますね。好感度アップです。
おわりに
今回は少し毒を含んだ記事になってしまいました。ポイズンです。
それでは、最後まで読んでくれた皆さん、ありがとうございました!
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