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「自分の子はかわいい」を分解する

子がうまれでてきてから一ヶ月がたった。

そして、GWの終わりとともに夫ヒガシノの育休が終わった。
入れ替わりに母が助っ人として滞在してくれている。

さて、母、訪れた瞬間から子に対し怒涛のマシンガンのように「かわいい~」「これは将来が大変よ~」「ふたりのいいとこどりでちゅね~」「もうかわいくて胸が苦しい~」と3オクターブ高い声がけをしまくっている。

そんな様を浴びているといつのまにか自分も猫なで声で「かわいこちゃんだもんね~」「きゅるんとしとるんだね~」と繰り返すようになっており、これ誰?え自分?もはやプレイ?…と脳裏によぎる。親バカプレイ。親という役割を体が勝手に演じている…。

実際、子のことは外に産まれ出た瞬間から心から「ああもうかわいいんじゃ〜〜」となっているのもまた事実。

世の中で数億回は繰り返されてきたセリフ「子ども苦手だったけど自分の子はかわいい」。ああなんて凡庸な!!でも凡庸というのは普遍的な真理ともいうことだ。

もともと「子育ておもしろいかも」とは想像していたが「赤子を育てたい」欲はついぞ感じたことがなかった。
そんな自分でさえ、赤子の我が子を見てるともうとにかく胸に「かわいい風船」みたいなものがパン生地のようにパンッパンにふくらんであふれてホワホワした気持ちになってしまうのである。

このクソデカ「子かわいい感情」はいったい何で構成されてるのか?を理性で思わず考えてしまう。

  1. 人間の本能に訴えるかわいさ説 → かわいい=子どもっぽさ だとするともはや赤子はそれのみで構成されている生き物。究極の童顔。人間の本能にうったえかける「かわいい造形」。彼らはその一点を生存戦略としてきたとすら言える。

  2. ホルモンでキマっている説 → 母体はオキシトシンとかが分泌されることで愛着を覚える。ホルモンという劇物により有無を言わせずキマりまくっている。

  3. フルコミットで頼ってくる存在への庇護欲説 → 素直に頼ってくる人は庇護欲をくすぐられてかわいい。その点赤子はもう生存からなにまで100%まるごと自分を必要としてくる。庇護欲カンスト!

  4. 手間ひまかけた存在への愛説 → 妊娠から含めると一年近く育成してきているわけで、いわゆる「IKEA効果」というか「こんな手間をかけて自分がはぐくんだものはすばらしい」みたいな心理にもなってそう。

  5. 身近な人がかわいがりまくっているから説 → 夫や母をはじめ、親族全方位友人各位が「かわいい」と言ってくれるので「そうだよなかわいいよな」認識が強化される。

たぶんこういったあらゆる要素が掛け算され脳にシャワーのように降り注いでいる。

つまり、赤ちゃんとしての見た目がかわいいとか、そういうことだけじゃないのだ。1以外は「自分の子」だからこその要因であり、あらゆる角度から「かわいい」と思わせる要素がないまぜになってる。
スキンケアの「美白有効成分」があらゆる効能角度で肌サイクルのプロセスに作用してシミやくすみを予防するように…。

(いっぽうはたして自分の子じゃなかったらどう言う感情になるんだろう?というのも頭をよぎる。仮に養子だとしたら?それでもそれはそれでかわいいと思える気はする)

ともかく、こういった相対性や客観性を持たないと、ヤバイんじゃないか?我を失ないすぎでは?と思えるくらい子がかわいい日々を送っている。

***

私はいま福岡在住でありかつ二人暮らし向け物件のため、母の滞在期間は近所にウィークリーマンションを借りている。正直いってそれなりにお金がかかる。

が!私の性格上いきなり一人で育児運用するとなると疲労とプレッシャーでメンタルが速攻でにごり暗い目で呪詛を吐きつづける未来しか見えない。

ので、このウィークリーマンション代は、今後人生振り返った時、初めての育児期を呪詛ではなく「あの時期ハッピーのハイライトだったわ~!」として回想する未来につながる価値のある投資だと思っている。

いまのところ大正解。ありがたく「育児を楽しむ」余白ができている。

また、この年齢になると親とここまで一緒に過ごすこともまぁないわけで、これはこれでいい機会だったなと思っている。母ももう60代、まだ不調もなくあらゆることが楽しめる年代でこういった時期をもてたのも振り返ると人生ハイライトの一部になってくれるんじゃないだろうか。知らんけど。

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松下ゆき
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