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新卒メンタル崩壊記 前編
前置き
日々暮らしている中で、noteに書きたいことが閃いた時にまず脳内で草案を作ってみるのだが、そうするとどうしてもこのことには触れておかないと話が作りづらいなと思うことが多い。
正直、今でもあまり思い出したくもないし、記事として人様にお話することが、今の自分の課題に対する免罪符のようになってしまうような気もして避けたい気持ちもあるのだが、今の私の状況や考え方に繋がる大きな出来事なので、自分の備忘録としてもここで記しておこうと思う。
私が新卒でメンタルをぶっ壊し、適応障害からうつ状態に至るまでのお話である。
コロナ禍と就活
私は地方の国立大学を卒業している。
出身は大阪で高校はそれなりの進学校だったのだが、今はなきセンター試験で見事にすっ転び、実家を離れて地方で一人暮らしをしながら大学に通うこととなった。
迎えた大学生活は信じられないほど楽しく、特に高校時代からの流れで入部した軽音楽に没頭し、音楽音楽音楽音楽バイトバイト講義音楽音楽音楽.…という具合に、ほぼ軽音楽が中心の生活スタイルを送っていた。
そんな中、あのコロナ禍がやってくる。授業は完全にオンラインとなり、バイトのシフトも大幅にカット、生活の真ん中にあった部活動も対面での活動が禁止に。ライブハウスクラスターが取り沙汰されたことが拍車をかけ、屋内かつ対面で演奏を行うことがメインの軽音楽部の活動は、しばらくの間パッタリと止まってしまった。
そんなこんなでおよそ半年ほどの間、ほとんど人との対話は消え、外に出ることも減り、生活のほとんどの時間を1人 家の中で過ごすこととなった。次第に異常な寂しさと先の見えない不安に押しつぶされるような感覚の日が増え、1人ポロッと涙を流して寝るなんてことも。今思えばあれが人生で初めての軽いうつ状態だった。
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唯一気の紛れる時間だった
結局そんな期間も1年ほどで落ち着き始め、部活動もバイトもコロナ以前ほどでは無いものの、それなりに人と会ったり外で活動することはできる社会へと変わった。
ちょうどその時期に就活がやってきた。授業もオンラインが中心のままだったので、同期生の状況などもあまり分からないなりに、進めていく。とりあえず分かっているのは、私の専攻からの王道の就職先は大きく3つに分かれるということ。
・公務員
・建設コンサルタント
・建設会社(ゼネコン)
今思えば別にそんなことに囚われずにもっと広くやってみたいことを探してみたら良かったんじゃないの?と思うが、当時は「この専攻のことを活かすにはこの中からどれかだ!」という具合に考えていた。コロナ禍の小さなトラウマのようなものを抱えていた私は、「1人ではなくチームプレーでガツガツやっていく仕事の方が向いているし楽しくできるはずだ!」と思い込んでいた。また、研究室も建設材料系のところだったため、「この経験をストレートに活かせる!」なんて自分に思い込ませていた節もある。
そんな感じで建設会社中心に就活を進めた私は、難なく第一希望の企業から内定をもらった。その企業には大学の先輩も何名かおられたこともあり、根拠の無い安心感を持って就活を終えた。
なおゼネコンが激務ということも、超絶人手不足業界であることも知識としては認識していたが、コロナ禍で空虚とも呼べるほどの“暇”に恐怖があった私は、暇より忙しい方が良いに決まってる、なんて甘い考えを持っていた。
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私は非常に充実した気分で楽しめていた
就職と上京
全単位を無事に取り終え、3月に大学を卒業した私は、いよいよ上京することとなる。3月はコロナ禍で失った分も取り返してやる!と言わんばかりの勢いで全力で遊び倒した。しかしこうして人と会ったり遊んだりすることができるようになった後も、コロナ禍に芽生えた孤独感のようなものは完全に消えてはいなかった。心のどこかで、自分は誰かといないと苦しくなる、でもどれだけ仲が良くても結局人間は1人なんだ、1人で気持ちを強く持っていないとこの社会では生きられない、大人になるというのは1人でも大丈夫になることなんだと思うようになっていた。
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この時まだ珍しかった新型に乗れたのが嬉しかった
ここからは心機一転、東京での生活が始まる。
住むのは都内の社員寮。半年前にオンラインの内定者懇親会で顔を合わせた面々が勢揃い。知ってはいるのに会うのは初めての人が沢山という、なんとも不思議な感覚に戸惑いながら荷物を部屋へと収めていく。寮はお世辞にも綺麗とは言えず防音性も良くなかったが、寮母さん寮夫さんが気さくで優しい方だったので、全く見知らぬ土地で見知らぬ人たちと全く新しい生活を始める身としては、それだけでも安心感があった。
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もう二度と戻りたくない
新生活の始まり、環境の変化
ドキドキとワクワクが混ざった気持ちを胸に入社式を迎えた。入社から1週間ほどは本社人事部が担当の研修が行われる。内容はなんてことはなく、会社の組織や制度に関する説明や、社会人としてのマナーに関する研修など、おそらく一般的な新入社員研修だ。
風向きが変わり始めたのは2週目から。
ここからは研修の担当が専門職の部門に変わる。2週目の月曜日の朝、始業時間8:30の5分前に到着した同期に、「遅いよ!」と声が飛ぶ。会場にややピリッとした空気が流れる。ん??確かに言わんとすることは分からんでもない。15分前くらいに着いて始業時間までに準備を整えておけるのがベストなのかもしれないし、そういう習慣をつけておくというのも研修の一環とも思える。ただ5分前でも遅刻したわけではない。その上、勤怠の報告は8:30始業で指示がされる。これ、法の上ではアウトになる事なんじゃ、、。
この日から、こんな感じのややピリッとした空気感の中、研修が進んでいった。別に怒鳴るとか暴言があるというわけではないのだが、雰囲気に現れる威圧感のようなものに皆が統制されているような感じはあった。私がそういうものに敏感なだけなのかもしれないが、少なくともそれがちょっとしたストレスになっていたことは後になって気づく。
さらにストレスを加速させていたのが寮生活だった。退社して寮に帰っても、完全にプライベートな空間ではない。もちろん鍵のかかる自室はあるが、風呂、トイレ、洗濯は共同空間だし、何より部屋の中にいてもドア越しに外の足音や話し声は普通に聞こえてくるのだ。夜遅くに残業から帰ってくる人もいれば早朝に夜勤明けで帰ってくる人もいる。たった1枚のドアの向こうには、見知らぬ会社の先輩たちが常に生活をしている、そのことを常に感じとってしまって、完全に自分の生活に入り込んでリラックスすることが出来ていなかった。
これは寮が悪いとか会社が悪いとか話ではなく、『私の性格や性質上合わない空間に身を置いてしまった』というのが最も的確な表現であろう。同じ環境でも気にしない人は気にしないしリラックスできる人は上手に切りかえて楽しめるのだと思う。
しかしこの時にはそんなストレスにも全く気づかず、新入社員に多少厳しくするのも学生気分から切り替えさせるための大事なことだろう、寮なんだからこの環境を受け入れるしかない、時間が経てば慣れるだろう、研修が終わるまでにこの環境に適合しなければと、全ての状況を受け入れるべきと考えていた。
現場研修と違和
研修期間終盤は、新入社員が数名ずつグループに分けられ、実際に全国の作業所に受けいれてもらって現場での研修を行った。この現場研修が非常に印象深いものだったため、具体的な場所や内容などについては記述を避けておくが、起こった衝撃的な出来事をいくつかまとめておこうと思う。
・8時に現場の朝礼が始まるので、事務所着は7時20分⇒起きる時間は、、、
・1時間の昼休憩、13時からの打ち合わせの準備のため、若手は実質30分も取れない
・研修内容が統一されていない為、現場側はどうしたらいいのか分からず放置プレイ
・懸命に働いている若手社員を横目に、中堅社員がタバコを吸いながら「仕事が遅い」といびっている
・若手社員が毎日のように怒鳴られていて、終いにはヘルメットを地面に叩きつけられている
・人手が足りないため、現場の柵の設置を若手が指示される(法律上、現場監督側は作業をしてはならない)
・全ての日において、定時を過ぎても帰宅する動きを見せる人はいない
このくらいでやめておこう。どうでしょう?猫ミームにありそう。現場猫案件でもあるな。思い返しただけでも笑えてくるような話。どうぞ笑ってください。
この時、新入社員かつ研修中の身分なのでこの状況を受け入れるしかない我々同期は、帰りの道中で「あれはやべぇよな笑」なんて笑い話に昇華してなんとか腑に落としていた。自分の配属先ではそんなことがないことを皆祈りながら。
研修終了、本配属へ
現場研修を終え、最終週は同期たちと共に過ごす最後の合同研修を行った。入社直後はまだ学生気分が残っていたが、私も含め皆、いよいよ本配属へ向けて気持ちを引き締めている、そんな空気感へと変わっていた。
研修終わり、本配属前の土日、両親が私の様子見も兼ねてか箱根旅行にやってきた。本配属前の土日、じっくりと休息を取っておきたい気持ちもあったが、寮の空気に嫌気がさしていたこともあり、せっかくだからと参加することに。
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久々の高揚感
両親は小田原からレンタカーで、私は都内からロマンスカーで向かい、箱根で合流。美味しいものを食べ、温泉に浸かり、この数ヶ月のこと(もちろん楽しかったことだけ)を話したりと、久々にゆったりとした時間を過ごしたことで、張り詰めていた緊張が少しだけほぐれたような気がした。
別れ際、両親が晩御飯にと焼売弁当を持たせてくれた。帰路、夕暮れの中を都心に向かうロマンスカーの中で前の座席には3人の親子。どうやら少年の誕生日のようで、誕生日プレゼントとしてロマンスカーに乗っているようだ。何気ない幸せなその光景を見た瞬間、信じられないほどに涙が込み上げてきていた。歳をとって涙もろくなったのか、はたまた両親に会ってホームシックにでもなってしまったのか。この歳にもなって情けないなぁなんて思いながらも、一向に涙腺が収まることはなく、気がつくと車内で食べるはずだった焼売弁当を結局寮の自室で口にしていた。涙の味しかしなかったのを鮮明に覚えている。
この時、まさか自分のメンタルの状態がかなり追いやられたところまで来ていたとは、まだ知る由もない。
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偶然か、はたまた何かの暗示だったのか、、
続く。