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そうじゃなくても、幸せになれた

2024年9月
4ヶ月ぶりにnoteを更新するまでに、私のカナダ生活にはいろんなことが起きていた。いろんなことが起きていたのに(書くようなことはたくさんあったのに)noteに戻ってこなかったのは、自分だけのノートに心情と思考を記録する割合のほうがずっと多くて、それを誰かの目に触れる文章として握力をかける余白がなかったからだ。

自分でも把握しきれない自分の回路を、書きながら手探りで触って、それを繰り返して理解して少しずつ次の道を決めていく。自分のために書いて、書き終えて、「書きたい」という欲求はそこで満ちて。仕事して、帰ってきて、日本のクライアントさんと打ち合わせをして、原稿を書いて、空いた時間は今後のことを考えることに費やして。ものすごい速さで日々が過ぎていった。

一番大きな出来事といえば、家を失う事件。
はぁあああああああ。急にとんでもない展開を迎えるよなぁ、海外生活。一人暮らしをしようと思ったら、最低でも月の家賃が25万円するVancouverという街の、ダウンタウンからちょっと東にそれた何をするにも便利な地域。でっかい湖の公園があって緑豊かだし、治安もいいし、駅から家まで徒歩5分だし、職場までドアtoドアで20分。大家さんとの縁があって、大きな一軒家に破格で住ませてもらっていた。

だけどある日急に告げられた、「ごめんね、僕は半年以内にベトナムに移住することを決めて、この家は売ることにしたんだ」。

……そっか。そっかぁ。


この家は通常、月々の家賃が60万円の物件なのだ。売りに出せば相当の移住資金になる。もちろん私はそんな大金を払っていないし、光熱費も通信費もオールインクルーシブで私は家賃だけ払えばよかったし、洗剤やトイレットペーパーなどの日用品も「コストコで買ってきたから!」と大家さんが負担してくれていた。普通ではありえない。
もともと、大家さんの厚意に寄りかかって成立している生活だったからな。

出会った時から、大家さんとは友達のようにいろんな話を聞いていたし、いつかはベトナムで暮らしたいという夢があることも、週に数回オンラインのベトナム語レッスンを受けていることも知っていた。一人娘も自分の手を離れて独り立ちし、いよいよ仕事を引退して、老後の夢を叶えるところまで彼は来たのだ。

そんなの、「わかったよ」と言うしかない。
ということで、私は11月までに家を出なくてはいけなくなった。

家を売る報告を聞いた次の日、さっそく引越し先を探すためにパソコンを開いて作業していると、画面が急にプツリと消えた。

……ん???

あれ、バッテリー切れるほど少なかったっけ?と思いつつ充電器を繋げて再起動を待つ。…待つ。うん、待った。10時間くらい、待った。

……購入から2年しか経っていない私のMacは家を失う通告の次の日に予告なく死んだのだった。職場に持っていって、機械に詳しい同僚に色々見てもらったけどどうにもならず、Appleストアで修理の見積もりを出してもらったら$800オーバー。え、9万円?????

もうさ、それなら買うよ。新しいの買うよ。
パソコンなしで暮らしていけるわけもないし、どうせいつか寿命が来て、新しいのを買わなきゃいけないわけだし、うん。その日が急に訪れたというだけの話だ。いつか必ず払わなきゃいけないものなのだから、もうそんなもん、今払って明日を快適に過ごそうじゃないか。ということで急に15万円がぶっ飛んで行った。AHAHAHAHA

本当に仕事があってよかった。仕事、最高。友達はもっと最高。

だけど、実はその仕事もビザの関係で転職をする必要があって、ちょうどその準備に向けて動いている最中だった。私はこの職場が本当に好きで、同僚のことも本当に大好きで、転職せずに永住権に向けて有利なビザを取れるならこのまんまで、何も変わらないまんまで、いたかった。

辞めたくないのになと思いながら、次の仕事を探して、出て行きたくないのになと思いながら、次の家を探す。

こんなに強く、「何にも変わらないままがいいのに」と思うのは、本当に人生で初めてじゃないかな。ずっと、変わり続けていたいと思って生きてきたし、変化に飛び込んでいく自分のことが好きだった。


基本的に飽き性で、ずっと同じ場所にとどまったり、ずっと同じルーティンを繰り返す生活を避けてきた。カナダに来てからの2年間で、実は引っ越しを3回している。人生を通して、実家以外1年以上同じ家に住んだことがない。会社員も1年で辞めて、そこから7年ずっとフリーランスだ。

慣れてきた実感ならまだいいのだけど、「飽きたなぁ」「つまんなくなってきたなぁ」はアウト。その現状が嫌というよりは、そうなる自分自身のことが嫌だった。自分自身にとっての現状維持を優先とすることで、ぬるっと惰性が混じっていく感覚が嫌なのだ。仕事でも、その時々で少しずつお互いにとって刺激になる、一番いい関わり方を考えてずっと一緒にいられるように努めたい。

「これでいいか」ではなくて、「これだけがいい」「これがベスト」を諦めないために、どれだけ名残惜しくても、「行かないで」と言われても、離れることでもっと成長することを心に決めて、それを糧に飛び出していける自分でい続けたかった。

でも今は、例えこれが星の数ほどある選択肢のなかでベストじゃなくても。
「これがベストだ!」と心から思うかと言われればそうでもないけど、より良い何かなんてもう求めないから、このままでいたい。

このままでいたい。

家も仕事も友達も今私の生活に触れている、この時間に関わっているすべてのものが、このままの状態のままで、ずっと続いて欲しい。

初めてそう思っているけど、そんな願いは何ひとつ叶わない。
私が変わらないままでいても、友達の人生は変わっていく。世界の全然違う場所で生まれて育って、30年生きてようやくこの街で出会えたのに。それはつまり、出会うまでに30年かかったということなのに。

彼らには彼らのここに来た目的があって、ビザの期限があって、出会った時にはすでに一緒に過ごせるリミットが見えていることがほとんどだ。
ようやく出会えたのに私たち、こんなに大好きなのに、世界のどこかにまた散り散りになってしまうね。


カナダで暮らしたことで発見した、新たな自分は数多に存在するけれど、これはゲームチェンジャーとなるほどの新しい一面だったな。

「変わりつづけることを望む私」じゃなくなっても、「ベストを追い求める私」じゃなくなっても

すんごい、幸せだった。
笑っちゃうくらい、笑いながら涙が出るくらい、本当に私は私の今の人生が幸せだと思っている。

例えばカナダにいる間、ライターとして、大きな活躍をしたわけではないし
多くの人の目に触れて、評価されるものを書き残せたわけでもない
優秀な技術を持つ人材と評価される(カナダではskilled workerと呼ばれる)職種についていたわけでもないし
Vancouverの高層マンションで一人暮らしできるほど稼いでもないし
誰も私のことなんて知りやしないし
自分が理想だと思う体型までダイエットも成功していないし
東京で暮らしてた頃みたいにオシャレを楽しんでるわけでもない
(基本的にTシャツ短パンにスニーカーで生きてるし髪も染めないしネイルもしない)

東京で暮らしていた自分が「これこそ幸せじゃん!」と握っていたそのほとんど全部、剥がれて落ちて、裸になっても。
こんなに幸せを感じるなんて、思わなかった。変わりたくないほど毎日を愛せるとは、思わなかった。

いいことも悪いことも、大変なこともあるけどね
私はこの先もカナダで暮らしていきたい、「もういいやもう十分!」と心から思うまでは。

そのためには、まず仕事を変えなきゃいけない。
家も無くなるし、仕事も辞めるし、親友の結婚式というハレの日に駆け付けたいし。今がタイミングかなと思って、一度全部の荷物を持って、日本に帰ることを決めた。

親友の花嫁姿を見届けて、次この街に帰ってくる時には、私はなんと家なし仕事なし状態である。AHAHAHAHAHAHA


全部新しいスタートだ。
新章も、カナダを愛して頑張るぞう!!!!


バンフのルイーズ湖
イエローナイフで見たオーロラ


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