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私の生い立ち(その6)〜 私と母の過去の関係 〜
小学2年生の終わりに両親が離婚し、母と2人暮らしになった。
元々 母は契約社員だったこともあり、収入は不安定。
決して何不自由なく暮らせてたとは言えない。
しばらくは携帯も持たせてもらえなかったし、お小遣いもあまり貰えなかった。
だからといって、アルバイトをするのも禁止されていた。
何が起こるかわからない、という無駄に心配をしてのことらしいが。
だから学費については、奨学金をもらうことが前提だった。
かといって、特別成績が良かったわけでもない。
得意・不得意の差がありすぎて、結局平均といったところだ。
高校卒業して進学しても、結局アルバイトすることなく、就職=初めて働くという感じだった。
今の仕事を選んだ理由は、就職に困らないと思ったから。
資格を取り、手に職をつけることが、自分にとっても、母にとっても安定だと思ったから。
一応仕事の内容についても、「やってみたい」という憧れみたいなものもあったし、色々な意味でベストな選択をしたと思う。
そんなこんなで無事に就職できたのだが、最初は系列の地方の職場だったこともあり、初めての仕事、初めての1人暮らしに悩まされた。
月に1〜2回実家に帰り、母の有難みを感じたものだった。
✳ 最初の職場、前の職場への異動の心境について
記した note に興味を持っていただけた方は、下記をクリックしてみてください↓↓
前の職場に移ってからは、地元に帰ってきた=いつでも帰れるという感じになり、逆にほとんど実家に帰らなくなった。
連絡を取るのも、必要最低限だったと思う。
そのうち、母が入院した。
元々潔癖でこだわり屋の母は、自分の妹(私の叔母)に入院の荷物を準備してもらっても、「気に入らないから買い直してほしい」、他人が触れたであろう物は、「除菌ティッシュで拭いてからじゃないと使えない」、といった自己チューぶり。
昔から潔癖ぎみではあったが、ここまで酷くはなかった。
なのにいつの間にかこんな有り様になってて、驚きとともに本当に面倒くさいと思った。
鍵を締めたか何度も確かめたりするし、一種の強迫性障害なんだと思う。
でもそうじゃないと、生きていけないという不便さが、逆に気の毒にも感じた。
母が入院した病名は肺炎であったが、同時に別の病気が見つかった。
・・・関節リウマチであった。