はたらくってなんだろう
私の「はたらく」は、「誰か(人)のために動くこと」だ。
この誰かは「私」と「他人」を含むので、全世界の人間が対象になる。
私は私のために、他人のために動きたい。
そう考えると、自己受容、他者信頼、他者貢献を同時に満たしてくれるのが「はたらく」ということなのかもしれない。
人は「はたらく」ことで「幸せになる」ことができるのかもしれない。
アドラー心理学が好きなんだよね、っていう自己紹介も兼ねて、難しい概念で導入部分を終わらせにかかる。
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元々私の仕事は水泳選手で、泳ぐことが仕事だった。
昔からの夢を叶えたのに、私は水泳選手をやめた。
結果が出なくてもお金を貰っていることが怖かった。
「はたらく」ことを「お金のため」にした瞬間、「はたらく」ことが怖くなった。
私はお金のために泳ぎたかったわけじゃない。
でもそんな綺麗事だけじゃ生きていけない。
まずい、「はたらく」ことに意味を見出さなければ、私はとうとう生きていけなくなる。
そう思って、「はたらく」ことと「お金」を分けて考えるようになった、「はたらく」意味を作り始めた。
まあ落ち着いて考えれば、「はたらく」ことに意味がなくたって生きてはいける。安心して欲しい。
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「自分をすり減らしてまで水泳をやらなくていい。」
「仕事も絶対しなきゃいけないわけじゃない。」
上司や先輩がかけてくれた言葉は、「はたらく」ということは絶対じゃないということだった。
「はたらく」ことは、自ら動くことだ。
無理に動かさなくたっていいのかもしれない。
私は前の職場も、その職場の人たちも大好きだ。
断じて、職場や周りの人に潰されたわけじゃない。
自分の中で絶対条件を作りすぎてしまった。
自分で自分を潰しにかかっていた。
これだけは絶対に言っておきたい。
別に水泳を辞めてもいい、はたらかなくてもいい。
そう思ったら泳ぎたくなった。はたらきたくなった。
自ら「はたらく」ということを選びたくなった。
人生はいつも矛盾していて、それがなんとも人間らしい。
皮肉な感情に一生振り回されて生きていきたい。
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自分や他人(人)のために動く(動)ことが、「働く」こと。
なんか金八先生みたい。
今いるゲストハウスも、ライターと水泳のお手伝いも、私がやりたいとお願いして、相手にもお願いしますと言ってもらっている。
ぶっちゃけ私の動きにどれほどの価値があるのかわからないけど、相手のために全力で動いていく所存だ。
お金についてはまた後ほど考えさせてもらいたい。
ここまでは仕事ベースで「働く」を考えてきたけど、「仕事」だけが「働く」ことじゃないと私は思う。
・お客様のために、商品を売る
・家族のために、ご飯を作る
・自分のために、自分の好きな音楽をかけてあげる
これらは全て、最高の「働く」ことだ。
貢献先が社会か、他人か、自分か、くらいの違いだ。
これらの「働く」という行為に、価値の大小なんてない。何ひとつとしてない。
何かに貢献することで、人は幸せになれる。
やっぱり、「働く」ことは「幸せになる」ことだ。
そうに違いない。
…伏線回収大成功✌️