今回の読書記録は、2021年12月に『海士の風 』から出版された、『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC 』です。
本書の著者は、マーシャル・B・ローゼンバーグ(Marshall B. Rosenberg)氏 。
NVC(Non-Violent Communication:非暴力コミュニケーション) の提唱者であり、NVCを用いて、
●親子関係の改善(ローゼンバーグ氏自身もまた、家族に向き合ってきた) ●医療現場のコミュニケーション促進 ●キリスト教とイスラム教の部族の敵対に対するミディエーション(調停) ●社会的マイノリティーの市民グループの活動支援 ●社会変化を目指した学校の設立と、地域の教育システム変革プロジェクト
といった活動に取り組んできたローゼンバーグ氏(以下、マーシャル)は、2015年に亡くなっています。
マーシャルの著書としては、日本では、2012年6月に『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法 』が、
さらに、2018年2月には『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法 新版 』が出版されてきました。
今回取り上げる『「わかりあえない」を越える』の原著『Speak Peace in a World of Conflict: What You Say Next Will Change Your World(対立に満ちた世界で平和を語る:あなたが次に発する言葉が、あなたの世界を変えていく) 』は2005年の出版であり、
『「わかりあえない」を越える』 は、英語での原著出版から16年越し、著者が亡くなってから6年越しの邦訳出版となりました。
今回は、この『「わかりあえない」を越える』 についてまとめていきたいと思います。
NVC(非暴力コミュニケーション)の起源 人は生まれながらにして自分以外の人を思いやり、与えたり与えられたりすることを楽しむ。 そう信じるわたしにとって、長年、頭から離れないふたつの疑問があった。人を思いやろうとする気持ちがいったいどういうわけでかみあわなくなってしまうのか、そしてそのあげく、暴力的になったり相手から搾取したりするようなふるまいに出てしまうのか。逆に、どれほど過酷な状況に置かれてもなお、人を思いやる気持ちを失わずにいられるのは、なぜなのだろうか。わたしは子どものときからずっと、この疑問について考え続けてきた。
p17-18『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法 新版』 そもそも、このNVC というコミュニケーション技法を学ぶにあたって、提唱者であるマーシャルその人が、どのようなバックグラウンドから開発するに至ったのかを知ることは、とても重要なことだと思えます。
まずは、彼のストーリーから見ていきましょう。
マーシャル・B・ローゼンバーグの原体験 わたしは子どものときからずっと、この疑問について考え続けてきた。1943年の夏、家族でミシガン州のデトロイトに引っ越したころから。引っ越しから2週間後、公立の公園での出来事をめぐって人種間の争いが起きた。それから数日のあいだに40人以上の死者が出た。暴動の現場がちょうどわたしの家の界隈だったので、家族はみな3日間、家から出られなかった。 人種間をめぐる暴動がおさまり学校が再開すると、肌の色と同じく名前も危険を招くと知った。教師が出席をとる際にわたしの名前を呼ぶと、ふたりの男の子がわたしをじっとにらみつけ、押し殺した声で言った。「カイクか?」。初めて聞いた言葉だった。ユダヤ人を見下すときに使われる言葉だということすら知らなかった。放課後、そのふたりがわたしを待ち構えていた。彼らはわたしを地面に投げ飛ばし、蹴り、殴った。 1943年のその夏以来、前述したふたつの疑問についてわたしは考え続けてきた。最悪の状況にあってもなお人を思いやる気持ちを失わずにいられるとしたら、何がそうさせるのか?
p18『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法 新版』 幼い日のローゼンバーグ少年は、デトロイトに引っ越した先で人種間の争いに直面し、また、自身も「カイクか?」という人種的な理由で同級生から暴力をふるわれていたのでした。(原文では、"Are you a kike?"となっています)
このストーリーは、『「わかりあえない」を越える』においても取り上げられています。
また、『「わかりあえない」を越える』ではこのストーリーの紹介の後、こう続きます。
幸いにもわたしは、人間の別の側面にふれる機会がありました。祖母は全身が麻痺していたのですが、母はその祖母をいつも世話していました。そして、毎晩のように手伝いに来ていたおじは、祖母の体をきれいにするときも食事の介助をするときも、いつも最も美しい笑みを浮かべていたのです。 少年のわたしには、不思議でしかたありませんでした。この世には、叔父みたいに、他者の幸福に貢献することを心から楽しんでいるように見える人もいれば、互いに暴力をふるいたくてしかたがない人たちもいる。それは、いったいなぜなんだろう。やがて、将来の進路を決める時期になると、わたしは、これらの重要な疑問に向き合う勉強がしたいと思いようになりました。
p34-35『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 以上のような体験を経て、マーシャルは臨床心理学、やがて比較宗教学といった学問での学びを取り入れ、やがてNVCを体系化するに至ります。
NVCの提唱者の根底には、他者の幸福に貢献することを心から楽しんでいるように見える人もいれば、互いに暴力をふるいたくてしかたがない人たちもいる。それは、いったいなぜなんだろう。 という、原体験からくる問いがあったようです。
NVC(非暴力コミュニケーション)の目的 NVCにおける「いのち」は、何を意味するか? NVCの精神性は、人を神聖なるものとつなげるためにあるというより、わたしたちを形づくる源となっている神聖なエネルギー、すなわち、人間に本来備わっているいのち に貢献するエネルギーから生まれているものです。それは、自分の内なるいのちと他者の中で息づくいのちにつながり続ける、いきたプロセスなのです。
p37『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 人と人との温かいつながりを大事にしようとするNVCですが、本文では上記のように説明されていました。 また、日本語における「いのち 」というひらがなの表現は少し不思議に思ったので、原著の英文も該当する箇所を引いてみました。以下にその箇所を記します。
The spirituality in NVC exists not so much to help people connect with the divine as to come from the divine energy we're created out of, our natural life -serving energy. It's living process to keep us connected to the life within our self and the life that's going on in other people.
p15『Speak Peace in a World of Conflict: What You Say Next Will Change Your World』 「いのち 」は、英語では「life 」と言い表されていますが、日本語訳としては物理的な「生命」と当てるのではなく、より普遍的で精神的なニュアンスも含んだ「いのち」としたのかもしれません。
この訳については、訳者の注によれば以下のように説明されています。
life:「人生」「いのち」という意味があるが、myやyourなどの所有格を伴わない場合、マーシャルは、個人だけでなくその外側にある集団や自然など、大きな全体のいのちに貢献することも意図していると思われる。
p30『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 いずれにしても、一読者としては、人と人のつながりにおける温かさやみずみずしさといったものがNVCには備わっているんだよ、というメッセージが伝わってくるようです。
NVCの目的 本書中においてマーシャルは、NVCに触れたあらゆる宗教の実践者との対話の事例を紹介しています。
そして、「NVCの実践は、私たちの宗教が目指しているものだ。その実践の形だ」と言ったフィードバックを、例えばユダヤ教のラビやイエズス会の神父といった別々の指導者からもらっているという話も紹介してくれます。
宗教の種類が違っても、人々はわかりあっていけるという希望を感じさせてくれるような話です。
そうした中で、マーシャルはNVCについて以下のように述べています。
NVCは、考え方と言語を組み合わせたものであり、特定の意図に向けて力を行使するための手段でもあります。その意図とは、他者や自分自身と、思いやりのある与え合いが可能になるようなつながりを生み出すことです。 その意味でNVCは、精神的な実践にほかなりません。なぜなら、すべての行動は、他者と自分自身の幸福に自らの意思で貢献するという、たったひとつの目的のために行われる からです。
p39『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 NVCの第1の目的は、思いやりのある与え合いが可能になるような方法で、他者とつながることです。 わたしたちが自分と他者に奉仕するのは、義務感、罰への恐れ、報酬への期待、罪悪感や羞恥心からではありません。わたしの考える人間本来の性質として、与え合うことに喜びを見出すのです。NVCは、他者に与える(そして他者からも与えられる)という行為の中で、そうした人間本来の性質が前面に現れるようなつながりをつくるのに役立つものです。
p39『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 2つの重要な問い 平和のことば(Speaking Peace)は、暴力を伴わないコミュニケーションであり、NVCの原理を応用することから得られる、現実的な結果でもあります。具体的には、きわめて重要な、以下の2つの問いを中心において、相互に思いをやりとりすることです。
p30『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 上記のような説明の後、以下のような2つの問いが紹介されています。
「今この瞬間に、わたしたちの内面で何が息づいている・生き生きしているか?(What's alive in us?)」
関連する問いは、 「わたし/あなたの内面で、何が息づいているか?(What's alive in me/you?)」
もうひとつの問いが、
「人生をよりよりすばらしいものにするために何ができるのか?(What can we do to make life more wonderful?)」
関連する問いは、 「わたしにとって人生をよりすばらしいものにするために、あなたに何ができるのか?(What can you do to make life more wonderful?)」
「あなたにとって人生をよりすばらしいものにするために、わたしに何ができるのか?(What can I do to make life more wonderful?)」
以上のふたつの問いを挙げつつ、マーシャルは以下のような言葉を述べています。
世界のどこであれ、人と人が出会うとき、誰もがこの問いを発します。そっくり同じ言い方とは限りません。(中略)それは社交辞令かもしれませんが、それでも重要な問いかけです。なぜなら、もしわたしたちが、平和と調和のうちに生きようとし、互いの幸福(well-being) に貢献することに喜びを感じようとするなら、今この瞬間に、お互いの中で何が息づいているかを知る必要があるからです。
p49-50『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 悲しいことに、たいていの人はこの問いかけ自体はできるものの、うまく答えるすべを知っている人は多くはいません。いのちの言葉(language of life)を習っていないからです。わたしたちは、このような問いに答える方法を教わっていないのです。問いかけることはできても、答え方を知らないのです。
p50『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 つまり、NVCが難しいのは、わたしたちがまったく違う思考法とコミュニケーション方法をプログラムされてきたからです。わたしたちは、自分の内側で何が息づいているかを考えるように教わっていないのです。 少数の人間が大多数を支配する構造に適応するための教育を受けてきたということは、すなわちわたしたちは、他者−とくに権力を持っている人たち−にどう思われるかを優先的に考えるように教育されてきた、ということです。 なぜなら、もし彼らが「悪い」「間違っている」「能力がない」「愚かだ」「怠けている」「わがまま」と決めつければ、わたしたちは罰せられるし、もし彼らが「いい子」「いい生徒」「いい社員」というレッテルを貼れば、わたしたちは報酬がもらえるかもしれないからです。わたしたちは「自分の内面で何が息づいているか」や「何が人生をよりすばらしくするか」を考えるのではなく、報酬と罰という観点から考えるように教育されてきたのです。
p51-52『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 人と人が心から貢献し合うことを喜び合えるようなコミュニケーションを考える上で、どうしてそれが難しくなってしまっているのか?という問いに対し、マーシャルは教育のあり方にも言及しつつ、重要な二つの問いについて語っています。
裏を返せば、そのような教育のあり方に目を向けつつ、異なった前提に基づいたコミュニケーションを行えば、「自分以外の人を思いやり、与えたり与えられたりすることを楽しむという、生まれながらのあり方」に近づけるのではないか?
NVCには、そのようなマーシャルの願いが込められているのかもしれません。
NVC(非暴力コミュニケーション)の4つのプロセス 以上、NVCを理解する上で重要だと考えられる、マーシャル本人の背景、NVCの目的、重要となる2つの問い等を見てきました。
ここからは、具体的なNVCのプロセスについて見ていきたいと思います。 『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法 新版』において、
心の底から与えたい、という共通の願いにたどりつくには、次の4つのこと−「NVC」を構成する4つの要素」に意識を集中させる必要がある。
p24『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法 新版』 として、以下の4つの要素が挙げられています。
NVCの4つの要素 1 観察(observations) 2 感情(feelings) 3 必要としていること(needs) 4 リクエスト(requests)
それぞれ4つの要素に関してマーシャルは『「わかりあえない」を越える』の中においても示唆的なエピソードを挟みつつも伝えてくれているので、それらを参照しつつ、1つひとつ見ていきたいと思います。
観察(observations) 「観察」は、自分の内面に何が息づいているかを相手に伝えるための第一のステップと表現されています。
では、「観察」は具体的にどうすることなのでしょうか。本書内の表現を用いつつ簡潔に表現するなら、 「相手の行動の何を好ましく思い、何を好ましく思わないのかを、いっさいの評価、診断を交えずに述べること 」
となります。
「観察」について深めるにあたってマーシャルと、ある学校の教師たちとのやりとりが紹介されていました。
校長と対立しているという教師たちとの事例では、以下のようなやりとりがなされたと言います。
「校長の行動の何が気に入らないのでしょうか? 」 一人がこう答えました。 「あの人は口がでかいんですよ」 「いえ、わたしは、校長先生の口のサイズを尋ねているんじゃありません。校長が何をしているのかを聞いているんです」 すると別の一人が答えました。 「要するに、おしゃべりがすぎるんですよ」 「『すぎる』というのも、1つの診断です」とわたし。 「校長は自分だけが知性を備えた人間だと思っているんです」 「校長がどう思っているのかに関するあなたの考えも、評価の一つなのです。わたしは彼が何をする のか、と尋ねているんです」 (中略) 教師たちは最終的にいくつかの行動をリストアップしました。リストの1番目は、「職員会議で、どんな課題のときでも、校長が自分の経験や子ども時代に結びつけて話をする 」と書かれていました。その結果、職員会議はたいてい予定よりも長引くのだと言います。 (中略) わたしは教師たちに尋ねました。 「皆さんを悩ませているという、その具体的な行動を校長本人に伝えた方はいますか? 」
p56-58『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 以上の例をご覧になって、皆さんはどのように感じられたでしょうか。
診断や評価を交えずに相手の行動を見て、それを明確かつ具体的に 伝えることは、意識してみないと難しいことなのかもしれません。
感情(feelings) 自分の内面に何が息づいているかを相手に伝えるための第一のステップとして、「観察」を見て来ました。続いては、まさにその「自分の中に何が息づいているか」を話すために必要となる「感情」と「ニーズ」のうち、「感情」について見ていきたいと思います。
ある瞬間に自分の何かをはっきり表現するために、自分の感情とニーズ(大切なこと・必要・欲求)を明確にする必要があるのです。
とは、マーシャルによる言です。
「感情」については、そもそも「感情」を意識することが難しい学生の例、また、「感情」の責任を相手に押し付けてしまう例、という2つの例が挙げられています。
まずは、マーシャルが教えに行っていた大学の学生の相談の事例を見てみましょう。
「そのルームメイトのどんな行動が気に入らないのかい?」 「こっちが寝ようとしているのに、あいつは夜遅くにラジオを聞くんですよ」 「なるほど。きみが感じていることを、彼に伝えてみよう。彼がその行動をとったときに君はどう感じているんだろう?」 「そんな行動は間違っていると感じています」 「なるほど。『感じる』という言葉の意味を、わたしは明確にしていなかったようだ。『間違っている』という表現は、相手への決めつけだとわたしは考えている。わたしが尋ねているのは、きみがどう感じているかなんだ」 「えっと、『感じています』と言いましたよ」 「たしかに、君は『感じる』という動詞を使ったけど、そのあとにつづく言葉は必ずしも感情を表してはいない。きみはどんな感情を抱いているんだろうか。どんなふうに感じているんだろう」 (中略) 自分の内面を真剣に見つめていた学生は、やがて、顔をぱっと輝かせました。 「ああ、やっとわかった」 「どんな感じ?」 「マジでムカつく」 「オーケー、それでいい。ほかの言い方はあるけど、まあ、いいだろう」
p61-63『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 上記のやりとりを見て、どのように感じられたでしょうか? 続いて、ごく短い表現を例に出しつつ、マーシャルは感情の持ち方、扱う責任について以下のように述べています。
自分の気持ちの原因が相手の行動にあると示唆すると、その感情表現は破壊的なものとなりえます。しかし、わたしたちの感情の原因は他者の行動にあるのではなく、わたしたち自身のニーズにあるのです。あなたが書いた他者の行動の観察は、あなたの感情を引き出す「刺激 」であって、「原因 」ではないのです。 (中略)残念ながら、わたしたちは権威者−教師や親など−によって、罪悪感を引き起こすような教育を受けてきました。そういう人たちは、思いどおりにわたしたちを動かすために罪悪感を利用しました。たとえばこんなふうに感情を表現して。 「あなたが自分の部屋を片付けないから、わたしは傷つくの」 「弟を殴って、わたしを怒らせるな」 (中略) たしかに感情は重要なものです。しかし、わたしたちは前述のような使い方をしたくありません。つまり、罪悪感を植えつけるような形で感情を使いたくないのです。自分の感情を表現するときは、その感情の原因が自分のニーズにあることを明確にするような言葉を添えることが、きわめて重要なのです。
p65-66『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 何か出来事があったとき、相手の行動を「観察 」する。そこで、自分がどのような「感情 」を抱いたのかを明確にする。そして、その「感情 」は相手の行動が「刺激 」にはなったものの、その大元は自分の中の「ニーズ 」にある。
このようなプロセスを、NVCは実に丁寧に扱っています。
では、改めて「ニーズ」とはどのようなものでしょうか? 以下に見ていきたいと思います。
ニーズ・必要としていること(needs) ニーズについて、実は本書中ではあまり立ち入って説明されていないため、訳者による注釈が入っています。それによると、ニーズとは以下のような意味合いを持つもののようです。
ニーズ:マーシャルはNVCにおけるニーズについて、自分のいのちが続くために必要なものと述べている。体が食べ物を必要とするように、内面の幸福にとっても「理解」「サポート」「正直さ」などが大切であり、ニーズと呼んでいる。こうした根源的なニーズは、国や宗教や文化を超えて普遍的なものである。
p67『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 また、この「ニーズ」はNVCのプロセスでは「満たされている/満たされていない 」といった表現で、扱われることも多いようです。
判断する、批判する、評価する、解釈を加えるということはどれも、自分が必要としていることが満たされていないという遠回しの訴えだ。「あなたにはわたしのことは決して理解できない」と誰かが言えば、それは理解されたいというニーズが満たされていないという訴えなのだ。
p102『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法 新版』 残念ながら、多くの人は、自分がほんとうに必要としていることを自覚するような考え方を身につけていない。必要としていることが満たされていないとき、相手の何がいけないかを考えることに慣れきってしまっている。
p103『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法 新版』 多くの人は、決めつけを交えずに観察や感情を表現するリテラシーの獲得に苦労しますが、同じく、ニーズのリテラシーを身につけることにも苦心します。なぜなら、ニーズをネガティブなものに結びつけがちだからです。たとえば、ニーズを表明する行為を、「求めすぎている」「依存している」「わがままである」のように捉えるのです。
p67『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 このように、国や宗教を超えて共通する、人としての根源的なニーズを自覚したり、それを表明したりすることが、現代社会ではとても難しいことになってしまっているようです。それについて、ここでもマーシャルは教育について言及しています。
わたしが思うに、これもまた、支配構造にわたしたちをうまく適応させるために教育されて来た歴史によるものです。そうした教育のもとでは、権威に対しておとなしくて従順な人間ができあがります。支配構造についてはのちほど詳しく見ていきますが、ここでは「他者に対する組織的なコントロール」と考えておいてください。ほとんどの政府、学校、企業−多くの家庭でさえも−支配構造として動いています。 支配構造では、自分のニーズを自覚している人は、都合が悪い存在です。従順な奴隷にならないからです。わたしは学校に21年間も通いましたが、自分のニーズが何かを問われたことは一度もありません。わたしが受けた教育は、わたしがもっと生き生きとなることや、自分自身が他者とつながれるようになることは、重視していませんでした。権威者が正しいと見なすような答えを返したら褒美を与える、ということに焦点を当てた教育だったのです。
p67-68『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 一方で、以上のような自分自身のニーズ、他人のニーズにつながることが難しい状況がある中で、本書中ではニーズを見つけ、つながることの重要性と希望を以下のように述べています。
なぜなら、人は誰かのニーズが見えたときにこそ、「相手に与える喜び」が湧き上がるからです。わたしたちはみな、ニーズに共鳴できます。基本的なニーズは、すべての人に共通しているのです。 ニーズのレベルで人と人がつながるとき、それまで解決不能に思われた対立でさえも、驚くほど解決可能なものに変わり始めます。ニーズのレベルでは、互いの人間性を見ることができるのです。わたしは対立関係にある多くの人々と関わってきました。 (中略) わたしは長年にわたって紛争解決やミディエーション(調停・仲裁)の仕事に取り組んできました。人々がお互いを診断し合う状況を乗り越えて、ニーズのレベルで互いの内面につながるような支援ができたとき、いつも驚くべき変化が起こるのです。それが始まれば、対立はほとんど自ずから解決するかのように動き出すのです。
p69『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 以上、やや長めの引用も用いつつニーズについてまとめてきましたが、感情とニーズの一覧については以下のようなものも例として準備されているので、よろしければご覧ください。
http://nvc-japan.net/data/Feeling&Needs+intention.pdf
ここまで、相手の行動の観察と、それにより自身の中に起こった感情とニーズを明確にし、表明することについて深めてきました。
次は、4つのプロセスの最後、リクエストとはどのようなものなのか、以下、見ていきましょう。
リクエスト・要求・お願い(requests) NVCにおける重要な2つの問いについて触れてきましたが、リクエストについてはその2つ目。
「人生をよりよりすばらしいものにするために何ができるのか?(What can we do to make life more wonderful?)」
について扱います。
すなわち、「具体的で明確なリクエスト」を相手に伝えるということです。
NVCでは、「行動を促す肯定形の言葉」でリクエストすることを提案します。つまり、相手に伝える際は、「してほしくないこと」「するのをやめてほしいこと」ではなくて、「してほしいこと」として肯定形の言葉を使う、という意味です。相手に何か行動を「する」ことをリクエストするのです。
p74『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 リクエストについては、相手に行動を促すという性質を持つためか、2つの問いと、2つの視点について紹介されています。
それぞれ、順に見ていきましょう。
相手に何かをやめさせるのを目的とした場合、懲罰は効果的な手段に思えるかもしれません。けれども、これから述べる2つの問いについて、自分自身で考えてみれば、二度と懲罰を使おうとしなくなるでしょう。子どもに罰を与えるのをやめるでしょうし、犯罪者をその行為について罰しない制度(更生システム)をつくろうとするでしょう。また、自分たちの国に何かをしたからと言って相手国家を罰することもなくなります。懲罰というのは勝ち目のないゲームです。
p74『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 このような懲罰についての説明の後に、2つの問いが紹介されます。
「自分が相手に何をしてほしいのか」 「自分の望むことを相手がするなら、その理由はどのようなものであってほしいのか」
特に2つ目の問いについて考えてみましょう。
自分が相手に何か行動を促し、相手が動く場合、恐怖を感じた上で、あるいは納得感もないまま無理やり行動を強いられるよりも、相手の中に「互いの幸福に貢献したい」「与え合いたい」と言う思いが生じることから動いてもらう方が、よほど将来にわたって素晴らしい結果をもたらすことが予想できます。
これは、リクエストvs強要 、あるいは「パワー・オーバー(Power Over)」vs「パワー・ウィズ(Power With)」 という視点で捉えることもできます。
パワー・オーバーとは、相手を服従させて何かをさせること。そのために懲罰や報酬を用います。つまり「上から(オーバー)」の力を加えるわけです。パワー・オーバーは代償をともなうため、力としては極めて脆弱なものです。ある研究によれば、会社であれ、家庭であれ、学校であれ、この支配的な戦術を使う組織は、意欲の低下、暴力、システムに対する見えない反発といった形で間接的に代償を払っています。
p91-92『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 一方、パワー・ウィズは、相手に進んで行動を起こしてもらうことです。なぜ進んで行動したいかというと、それをすることが全員の人生を豊かにすることだと相手にはわかっているからです。それがNVCです。パワー・ウィズを実現するために最も効果的な方法は、自分自身のニーズと同じくらい、相手のニーズにも関心を持っていると示すことです。 批判を交えずに正直かつ無防備に相手に伝えれば伝えるほど、パワー・ウィズは実現します。こちらから相手のどこが間違っていると指摘するよりも、相手とともに力を持つ方が、相手もこちらの幸福に対して、はるかに関心を寄せるのです。
p92『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 『Humankind 希望の歴史』に見る修復的司法 ところで、このパワー・ウィズに基づいたかのような更生システムの事例が、『Humankind 希望の歴史 人類が善き未来をつくるための18章』 の中で紹介されています。
『Humankind 希望の歴史』 の著者であるルトガー・ブレグマンは、以下のような考えのもとで議論を始めています。
本書では、ある過激な考えを述べよう。(中略)わたしたちに、この考えをもっと真剣に受け止める勇気さえあれば、それは革命を起こすだろう。社会はひっくり返るはずだ。なぜなら、あなたがひとたびその本当の意味を理解したら、この世界を見る目はすっかり変わるからだ。では、この過激な考えとは、どんな考えだろう。それは、「ほとんどの人は本質的にかなり善良だ 」というものだ。
p21-22『Humankind 希望の歴史 上 人類が善き未来をつくるための18章』 そして、その具体例として、ノルウェーの刑務所の事例を挙げているのです。
ノルウェーで2番目に大きい刑務所であるハルデン刑務所の受刑者は、床暖房と専用の浴室の付いた個室を持っており、さらに図書館、フリークライミングの壁、設備の整った音楽スタジオを使うこともできると言います。
実のところ、ここの看守は武器を携帯しない。「わたしたちは彼らに語りかけます」 とある看守は言う。「それがわたしたちの武器なのです」
p154『Humankind 希望の歴史 下 人類が善き未来をつくるための18章』 さらに、そのハルデンから数マイル離れたところにあるバストイ刑務所では、映画館、日焼けマシン、教会、食料品店、図書館、スキー場も2つ完備。さらに、制服を着ない看守と受刑者たちが、同じテーブルに座って一緒に食事を取っているという驚きの光景を、著者であるルドガー・ブレグマンは紹介してくれています。
バストイでは、受刑者はそのコミュニティを維持するために耕し、植え、収穫し、調理し、木を切って製剤し、大工仕事をするといった営みを懸命に行っているとのことです。
ノルウェー人はこれを「動的セキュリティ」と呼び、昔ながらの「静的セキュリティ」−鉄格子のある監房、有刺鉄線、監視カメラのある刑務所−と区別している。ノルウェーでは、刑務所は悪い行動を防ぐところではなく、悪意を防ぐところなのだ。(中略)そして信じがたいことに、この手法はうまくいっている。ハルデンとバストイには、穏やかなコミュニティが育っている。
p155-156『Humankind 希望の歴史 下 人類が善き未来をつくるための18章』 ノルウェーの刑務所では、受刑者は仲良く暮らしている。争いが起きた時は、両者は席について徹底的に話し合わなくてはならず、握手を交わすまで、席を立つことは許されない。 「簡単なことです」とバストイの刑務所長、トム・エーベルハルトはこう語る。「汚物のように扱えば、人は汚物になる。人間として扱えば、人間らしく振舞うのです 」。
p156『Humankind 希望の歴史 下 人類が善き未来をつくるための18章』 若干脱線しましたが、パワー・ウィズの感覚を別の視点からも捉えることができなのではないでしょうか。
個人を越えて私たちに影響する意識、支配構造 ここまで、NVCの起源、NVCの目的、その根幹にある2つの重要な問い、そして、4つのプロセスについて見てきました。
その中で、何度かマーシャルは教育、あるいは支配構造といった言葉で、私たちが喜びから与え合ったり、互いの幸福のために貢献することを難しくしてしまうシステムの存在を言及してきました。
では、どうしてそのようなシステムが出来上がってきたのでしょうか。 以下に見ていきたいと思います。
「支配的社会」の誕生と「ギャング」 まず、マーシャルは歴史進学者のウォルター・ウィンク(Walter Wink)の研究について言及しています。
歴史神学者ウォルター・ウィンクのような人たちによれば、およそ8000〜1万年前に、いろんな背景が重なって、「善人が悪人を成敗することが、善い生き方だ」という神話が誕生しました。その神話が、専制的な体制、つまり、王や君主を自称する人々による支配に甘んじて生きることを助長してきた、といいます。そうした体制をわたしは「支配的社会」(優越意識を持ち人たちが他者をコントロールする社会)と呼んでいますが、人々は特定の思考法を植えつけて、虚ろな善人をつくり出すことにすぐれています。その思考方を植えつけられた人々は、上から言われるままに従うようになります。
p158『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 専制的な体制を維持したければ、人々を次のように教育するといいでしょう。物事には正しいことと間違っているものがあり、善と悪があり、利己的なものと利他的なものがある、と信じ込ませるのです。では、誰がその違いを知っているのか。それはもちろん、ヒエラルキーの頂点にいる人です。このようにして、あなたのマインドは、「権威のピラミッドにおいて、自分より上の人からどう評価されるか」を心配するようにプログラムされていくのです。
p159『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 そうしたマインドセットを育むのは、たいして難しいことではありません。人々に、自分や他者の内面で真に息づいているものとのつながりを経つように仕向ける、つまり、他者からの評価を絶えず気にするようにさえさせればいいのです。こうした権威の下で生きる人類は、自分自身や他者とのつながりを絶つような言語を発展させました。これらすべてのことが、互いへの思いやりを難しくしているのです。
p159『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 私たち一人ひとりが日々悩むコミュニケーションの課題は、それらを生み出しやすい仕組み、支配構造にあるのではないか。
マーシャルは痛烈に批判しています。
なお、今でも支配的社会は続いており、「多国籍企業」「政府」「学校」といった「権威のピラミッドにおいて、自分より上の人からどう評価されるか」という意識を再生産する支配構造(ギャング )についてマーシャルは言及しています。
では、わたしたちはどのようにそのような支配構造、ひいては社会を変革していけるのでしょうか。
社会を変えるために力を合わせる NVCをどのように活用すれば、自分の望む世界像に共感する人々と協働しながら、この世界にもたらしたい構造を見出せるのか?
ここでマーシャルは、2つの事例を紹介してくれています。
1つは、ある市民グループのミーティングのあり方についての事例。 もう1つは、別の市民グループと市の保健医療部門との交渉についての事例。
それぞれ、見ていくことにしましょう。
参加者の発言のニーズ、リクエストが不明確なミーティング まず一つ目の事例は、サンフランシスコの人種的マイノリティーのグループのミーティングにおけるものです。
「マーシャル、わたしたちは、社会を変えようとして、かれこれ半年ほど話し合いを重ねてきました。でも、言い争いや不毛な議論に陥るばかりで、何も生み出せていません。もっと効果的な話し合いができるように、NVCを活用したチームづくりを教えていただけませんか?」
という問い合わせから、まず、マーシャルはいつも通りミーティングを進めてみてくださいと促しました。
最初に話し始めたのは、新聞記事の切り抜きを持参した男性メンバーでした。生徒を虐待した校長が保護者たちに訴えられたというニュースです。その校長は白人で、子どもの一人はマイノリティーでした。男性メンバーが記事を読み上げると、別の男性が応えました。 「そんなの、たいした話じゃないですよ。自分も子どもの頃その学校に通っていたんだ。わたしがどんな目に遭ったか話してみようか」 そこからメンバーそれぞれの体験談が始まり、自分も過去にこんな目に遭ったとか、どれほど人種差別的社会だったかという話が、10分ほど続きました。 しばらく見守っていたわたしは、やがて口を開きました。 「ちょっと失礼します。皆さんの中で、これまでのミーティングを生産的だと思った人は手を挙げていただけますか?」 誰も手を挙げません。自分の体験談を語った人たちでさえもです。
p194-195『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 そこでわたしは、そもそもの会話のきっかけをつくった男性に尋ねました。 「あなたはこのグループにどんなリクエストがあるか、教えていただけますか?その新聞記事を読んだとき、グループに何を求めていたのでしょうか 」 すると男性が答えました。 「それはまぁ、重要だと思ったからですよ。興味深いんじゃないかなと」 「あなたが興味深いと思ったというのは、わかります。でも、いま教えてくれたのは、あなたの考えです。わたしが尋ねているのは、あなたが何をグループに求めていたのか、ということなんです」 「何を求めていたのかは、わかりません 」 「それこそが、非生産的な話が10分間も続いた理由だと思います。グループで注目を集めて何かを提示するときに、自分が何を求めているのかが明確でないなら、生産的な集まりにはほとんどならないでしょう。 NVCでは、相手が個人であれ集団であれ、わたしたちが何かを伝える際には、相手に求めている反応を明確にしておくことが重要です。だから、『あなたのリクエストは何ですか?』と聞いているのです。明確なリクエストをせずに自分の苦痛や考えを表現すると、非生産的な話し合いにつながりやすいんです」
p196『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 構造の中にいる人を敵とみなすか、一人の人と見るか 続いての事例は、サンフランシスコの市の医療保険部門と市民グループの対話のものです。
市民グループは、当局の雇用慣習が特定の人々に対して差別的であり、当局に自分たちのニーズをより良く満たしてもらうためにマーシャルからNVCを学ぶことになりました。
3日間、市民グループはNVCのトレーニングを受け、いざ当局との交渉に向かうのですが、翌朝集まってみると、メンバーたちは意気消沈していました。
果たして、何が起こったのでしょうか。
当局の責任者のオフィスを訪れた六人のグループメンバーは、彼らいわく、かなりうまくNVCを実践できたそうです。(中略)彼らがどう伝えたかを聞いて、わたしはうれしくなりました。前日までのトレーニングを見事に実践していたからです。自分たちのニーズとリクエストをはっきりと述べる一方で、相手を侮辱するような言葉は使っていません。
p198『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 「わたしは皆さんの伝え方が気に入っています。でも、相手の反応はどうでしたか?」 「ああ、彼はとても感じがよかったですよ。来てくれてありがとう、とさえ言ってくれました。民主主義においては、市民が自分の意見を表明することはとても重要だし、自分の組織の人間にもそうするように奨励しているくらいだ、とも言ってくれましたね。ただし、あなたがたのリクエストは現実離れしているので、残念ながら、今すぐに実現可能とはいかない、でも、来てくれてありがとう、って」 「それで、どうしたんですか?」 「帰ってきました」 「ちょっと待って。ちょっと待って。わたしがお伝えしたことのもう半分は?お役所言葉の奥にある心の声として、その人が何を感じ、どんなニーズを抱えているのかに耳を傾ける方法です。あなたたちの求めに対して、その人は、役人としてではなく、1人の人間として何を感じていたんでしょうか?」 「あの人の内面なんて、わかってますよ。わたしたちに出て行ってほしかったんです」 「それがほんとうだとしても、内面で何が起きていたんでしょうか?何を感じていたんでしょう?ニーズは?役人だって1人の人間なんですよ。その人間は、いったい何を感じて、どんなニーズがあったのでしょうか?」
p198-199『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 後日、市民グループがその当局の担当者に改めて彼のニーズを確かめに行ったところ、彼の中にも市民グループと同じニーズがあったこと、他方で、組織の中にいる自分自身を守りたいというもう一つのニーズがあったことが明らかになりました。
市民グループの方々はまず、自分たちの観察、感情、ニーズ、リクエストを伝えること……という、難しいハードルを超えて行ったものの、さらに相手の奥にある感情やニーズに耳を傾ける、ということが一度はできませんでした。
このグループは、相手が役所という構造に属しているからという理由で、その人の人間らしさに目を向けるということを忘れていました。そして構造の中にいる相手も、人間の言葉ではなく、構造の言葉で話していました。お役所言葉です。歴史進学者のウォルター・ウィンクが指摘するように、組織や構造や政府には、それぞれ独自の精神性があります。そしてそれらの環境で下では、それぞれの精神性を支持するような形でコミュニケーションが交わされるのです。
p199-200『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 効果的な社会変化をもたらすためには、その構造の内部の人を敵と見なさないようなつながりを、相手とつくることが必要です。つまり、その構造の中にいる人々のニーズを聴きとろうとするのです。そのうえで、相手と自分の双方のニーズが満たされるように、辛抱強く、コミュニケーションを取り続ける必要があります。
p201『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 より少ない代償で効果的に互いのニーズを満たしていく 以上2つの事例を見てきましたが、相手に対してなんらかのリクエストをした場合、それがそのまま受け入れられるとは限りません。相手にもニーズがあるためです。ですが、双方がニーズを分かち合い、双方のニーズを満たす道を共に模索し始めた場合、またその後の展開が変わってくるかもしれません。
「誰かに何かをやめさせることを目的にしたとたん、わたしたちは力を失います。わたしたちは、自分であれ、他者であれ、社会であれ、何らかの変化をもたらすために真の意味で力を持つためには、『どうすれば世界は今よりよくなるか』という意識から出発する必要があるんです。相手には、今より少ない代償で自分のニーズをよりよい形で満たせる方法がある、ということをわかってほしいのです」
p144-145『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 「大きな代償を払いながら続けるってことは、その行動が何らかのニーズを満たしてくれるからにちがいない。そのニーズが何なのかを明らかにしましょう。なぜなら、ニーズが理解できれば、もっと効果的で、より代償の少ない方法を探すことができると信じているからです」
p149-150『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 わたしたちは日々の生活の中で、ときに自分の感情を見失ってしまうこともあるかもしれません。そんなときに、対立や葛藤を抱え込むこともあるかもしれません。
そんな時にこそ、一度立ち止まって感情とニーズを見つめ直し、明確にし、そこから行動を始める、ということを大事にしたいものです。
感謝と賞賛、褒め言葉 これまで述べてきたように、わたしたちが大切にしている精神性とは、人生の目的とは思いやりのある与え合いと、思いやりのある貢献からやってくることを、あらゆる瞬間において人々に意識させるものです。命に貢献するために力を発揮することほどすばらしいものがあるでしょうか。それこそ、人が持っている神聖なエネルギーの現れであり、無上の喜びなのです。すなわち、命に貢献するために力を尽くすことが。
p234『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 最後に扱うのは、感謝と賞賛、褒め言葉です。
いずれも、自分の中から相手に対して湧き上がってきたポジティブなエネルギーを相手へと伝え、分かち合うもののように見えますが、その性質の違いについて見ていきたいと思います。
なぜ、賞賛や褒め言葉が評価として有害なのか NVCでは、褒め言葉や称賛は避けるように提案しています。わたしが思うに、誰かに対して、「あなたはよくやった」と褒めたり、「あなたは優しい人だ/優秀な人だ」と称賛したりすることも、やはり道徳的な判断や決めつけなのです。そのような褒め方であってもやはり、詩人ルーミーの言う「まちがった行い、ただしい行いという思考を超えたところ」とは別の世界を作り出してしまうのです。称賛や褒めるために評価するような言葉は、「あなたは不親切だ/愚かだ/自己中心的だ」と言うときと同じ型 なのです。
p234『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 こうした報酬の暴力について知りたい人は、教育理論家アルフィ・コーンの著書『報酬主義をこえて 』を読んでみてください。報酬が懲罰と同じ種類の暴力であり、同じくらい危険であることがわかるでしょう。報酬と懲罰は、どちらも人をコントロールするための手段です。わたしたちはNVCによって力を高めることをめざしていますが、その力は相手とともにあるパワー・ウィズであって、相手を上から押さえつけるパワー・オーバーではないのです。
p236『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 ちなみに、このような褒める・評価するについては、『親のかける「呪い」』というこちらの投稿でも取り上げられており、ここでは「驚く 」という率直なリアクションを推奨されています。
NVCで感謝を表現する それでは、NVCではどのように感謝を表現するのでしょうか。
まず、何よりも重要なのは、その意図です。感謝はいのちを祝福するためであって、それ以外の何物でもありません。相手にご褒美を与えるためではないのです。相手の行動によって、どれほど自分の人生が豊かになったのかをわかってほしい。それがこちらの唯一の意図です。
p237『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 この意図をもとに、自分の人生がどれほど豊かになったのかを明確に表現する手順として、以下の3つをマーシャルは提案しています。
祝福したい相手の行動は何か、その人のどんな行動が自分の人生を豊かにしてくれたかを明らかにする。
相手の行動についてどう感じているか、相手の行動によって自分にどんな感情が息づいているかを伝える。
相手の行動によって、どんなニーズが満たされたかを伝える。
感謝を伝えるための事例としては、マーシャルが支援していた教師グループのミーティング後に、ある教師がやってきたところから始まります。
その教師は目を輝かせながら、 「マーシャル、あなたはすばらしい」 「あなたはとても知的な方です」 と何度か表現に悩みながらも伝えますが、 マーシャルは気持ちよく受け取ることはありません。
「いや、それではまだ、わたしがどんな人間かについて診断を下していることになります。わたしが何をしたか、を伝えてはいません。具体的にわたしのどんな行動が、あなたの人生をほんとうに豊かにしたのかを伝えてくれたら、わたしはあなたのフィードバックから、もっと得られるものがあるでしょう」 「ああ、そういうことですか。やっとわかりました」 そう言うと、彼女はノートを取り出して、メモした2つを指差しました。その横には大きな☆印が付いています。 「あなたは、この2つのことを言いました」 わたしはノートを覗き込みました。 「そう、これなら役に立ちます。わたしが何らかの形で、あなたの人生をすばらしいものにしたことがわかります。」
p239-240『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 ここからさらにマーシャルは、「今、この瞬間にあなたはどう感じているのか?」 「この2つのことを聞いたことで、あなたのどんなニーズが満たされたのでしょうか?」 と、その教師に問いかけ、彼女はそれに応える形でマーシャルに感謝を伝えました。
漠然とした「あなたはこういう人間だ」という評価を受け取ることと、上記3つの点を伝えられることでは、伝わるものがまったく違うように思われます。
ただ、いざ実践する際には、はじめのうちはぎこちなさを感じたり、形式張った表現で違和感を感じることもあるかもしれません。
しかし、日常レベルで通じるような自然な表現に洗練された上で、このような感謝が表されるようになったら、どうなるでしょうか。
まったく、これまでの感謝の伝え方とは違ったものになりそうです。
終わりに:本書とのご縁と、これから 本書を手に取ったご縁と、背景 今回扱った『「わかりあえない」を越える―目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』 は、
下記の3ヶ月間のプログラムに参加したことから、改めてその学びを深めてみようという意図で読み返し始めました。
このプログラムには、本書の訳者である今井麻希子さん(こまきさん) の他、リストラティヴ・サークルズ ジャパン 代表の長田誠司 さん(お二人はNVC大学のメンバーでもあります)、
そして、ティール組織 解説者である嘉村賢州 氏の3名が講師として参加するというものであり、
私にとっては、実家の米づくりに勤しむ間、しばらく遠ざかっていた来るべき未来のコミュニティ・組織・社会の探求を再開する第一歩の機会となりました。
また、本書『「わかりあえない」を超える』 の出版社はかねてからご縁のあった離島発の出版社・海士の風 であり、編集者である萩原亜沙美さん は、ティール組織を探求・実践する組織である場とつながりラボhome's vi の創設メンバーでもあった方です。
いつかどこかで、本書を深めるタイミングがあろうとは思っていましたが、今回のような形になるとは……想像できなかったです。
本書について:NVCと社会変革 NVC(Non-Violent Communication:非暴力コミュニケーション)そのものについては、以前からその存在は知っており、概念の理解やそれの実践については、『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法 新版』 や、
『「なんでわかってくれないの!」と思ったときに読む本』 の内容も参照しつつ、行っていました。
しかし、その中でも、わたしはNVCを生み出したマーシャル自身の人となり がとても気になっていました。
デトロイトの学校に引っ越しした際、マーシャルは「カイクか?」と同級生に詰め寄られ、殴る蹴るなどの暴力を振るわれています。
人種差別的な意識と、それによる暴力という問題に、果たしてコミュニケーションの技法でどのように立ち向かうのだろうか?
そのような問いをかつては抱いていましたが、本書『「わかりあえない」を超える』 においては、そのイメージがありありと描かれていました。
自分の内面におけるNVCの実践、相手と自分の関係性におけるNVCの実践、そして、それらを取り巻く集団、組織、構造におけるNVCの実践という、3つの段階における実践を、マーシャル自身の豊富な現場経験から導き出した叡智により、示してくれていたのです。
この、歴史感覚に根ざした大局的な視点を見たとき、やはり私はルトガー・ブレグマン『Humankind 希望の歴史 人類が善き未来をつくるための18章』 を思い出さずにはいられませんでした。
「ほとんどの人は本質的にかなり善良だ 」というメッセージを、様々な研究結果の成果を精査して導き出した、あの書籍です。
事実、そのような人間観はマーシャルの『人は生まれながらにして自分以外の人を思いやり、与えたり与えられたりすることを楽しむ』というものと共通するものであり、『Humankind 希望の歴史 』においては、修復的司法の一つのあり方が事例として挙げられていました。
修復的司法といえば、近年では日本でも「島根あさひ社会復帰促進センター」 の取り組みに注目が集まりつつあるようです。
今、私の目の前には、日本国内で同時多発的に、マーシャルの思い描いたような世界のあり方やその一片が現れつつあるようです。
米農家とNVCと、ソース原理 最近、私が気になって仕方ないものに、『ソース原理(Source Principle)』 というものがあります。
『ティール組織』 という組織経営に触れ、探求・実践されている方々の間で、少しずつ話題になりつつある概念であり、
『ティール組織』 著者であるフレデリック・ラルー 氏も『新しい組織におけるリーダーの役割』と題した動画内の他、
イラスト図解版『Reinventing Organizations』の注釈部分において、
この『Source Principle(ソース・プリンシプル / ソース原理)』 というものに言及しています。
2022年4月現在、『Source Principle(ソース・プリンシプル / ソース原理)』 について体系化された書籍は邦訳されておらず(今夏、邦訳出版予定 )、私自身は英語版を独自翻訳しながら読み進め、
その学びを元に、まだまだ数少ないいくつかの日本語解説等と照らし合わせながら、学びを深めている最中です。
なぜ、そんなにも気になって仕方がないのかといえば、
本書中で扱ってきたNVCにおける
『今この瞬間に、わたしたちの内面で何が息づいている・生き生きしているか?(What's alive in us?)』 『人生をよりよりすばらしいものにするために何ができるのか?(What can we do to make life more wonderful?)』
という二つの問いに現れる世界観と、
Source の考え方、ティール組織(ティール社会) の世界観は共通しているのではないか、という確信が感じられるためです。
これは、米づくりという農村社会の営み にどっぷり入り込むことになり、また、兼業農家という田舎の家(イエ)の論理・システム に2年にわたって向き合ってきた私だからこそ、ここまで惹かれてしまうのだろうな、と感じます。
そこでは、『「わかりあえない」を越える』 で言及されていたギャング、とは言いませんが、ある方向性を持ち、システムに人を従わせる力学が働いていました。
他方で、そのシステムに所属する一人ひとりが活き活きしているのか、といえば、多くの人がそうでもなかったのです。
しかし、私はそこで同時に、自然の調和の中で生きるいのちの豊かさや力強さ、人もまた自然の一部であり、人もまたいのちの赴くままに活きいきと生きられる可能性も実感しました。
このような背景の中、ティール組織 やNVC の探求を再会し、新たに『Source Principle』 も学び始めたわけですが、それらすべてが、私にはつながっているように感じられたのです。
このつながりの探求と、それをいかに実生活で体現していくかについては、まだまだ私自身、明確になっていない部分が多々ありますが、この領域の探求は絶えず続け、実践の道を探し続けていこうと思います。
上記でまとめたような世界で、自分は米を育てて人に食べてもらったり、豊かな人間関係を築いていきたいものです。
……気づけば、25,000字に届こうとしている本読書記録ですが、まさかこんなにも長くなるとは想定していませんでした。
この本にこのタイミングで出会えたことや、ここに至るまでに出会ってきた数々の恩人の皆さんに感謝したいです。
さて、次は翻訳読書記録としてTom Nixon 著『Work with Source』 について書ければ良いなぁ、と思います。
いや、その前にまずは実家の田植えかな。
『すべては一人から始まる』出版以降の流れ 2022年8月、私は『Work with Source』の邦訳書籍である『すべては1人から始まる 』の出版前に来日したトムとの対話や、循環畑づくりの時間を共にすることができました。
また、2022年10月の『すべては1人から始まる―ビッグアイデアに向かって人と組織が動き出す「ソース原理」の力 』の出版後はソース原理提唱者ピーター・カーニック氏の来日企画の実施、日本の人事部「HRアワード2023」書籍部門 にて入賞を果たすなど、ソース原理(Source Principle)はその注目を高めつつあります。
さらに、『すべては一人から始まる』の翻訳者である嘉村賢州さん、 青野英明さん とのご縁により、ソース原理(及びマネーワーク)をピーター・カーニック氏から学んだ海外の実践者の皆さんとの場もご一緒してくることができました。
ソース原理の探求を進めるごとにNVCとの親和性を感じることができ、今なお、『「わかりあえない」を越える 』の知恵が私の人生や仕事、関わる皆さんとの関係性の中で現在も活きていることを実感しています。