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「大人になる」って難しい

皆さんこんにちは、Yukiです!

「大人になるってどういうことだろう?」

ふとこんな疑問を今日抱きました。何かきっかけがあったというわけではありません。

しかし強いて挙げれば、就活の準備が本格化したからでしょうか。

自己分析をする過程で昔のことを振り返りました。

「そういえばあんなこと考えてたな~」の一つが「大人になる」ということでした。

当時の僕は早く大人になりたいと思っていました。

「大人になれば」何でも食べられる。

「大人になれば」泣かない。

「大人になれば」ニュースや新聞が理解できるようになる。

「大人になれば」難しい話ができるようになる。

つまり当時の僕にとって大人になるとは、「できないことができるようになること」でした。

当時の僕はまだ小さいですし、できないこともたくさんありました。

そんな僕のできないことを軽々とやってのけてしまう「大人」に、憧れの気持ちを抱いていました。

そしてその「大人」には、ある時点に到達したらなれるものだと思っていました。

「はい、あなたはきょうから大人ね~」とまるでスイッチが切り替わるように、子どもと大人の境目ははっきりしているものだと思っていました。

そんなことを考えていたときから、早十数年。

僕は憧れを抱いていた大人になれたのでしょうか。

当時の僕の基準でいえば、まだまだ大人にはなれていません。

食べられないものも、少しは克服したとは言えまだまだたくさんあります。

「泣かない」ということについては、逆に涙もろくなってしまいました。本当にすぐに泣いてしまいます。ちょっとでも感動的な場面や悲しい場面に直面すると、泣いてしまいます。

ニュースや新聞も当時と比べたら理解できるようにはなりましたが、まだまだ知らないことはたくさんあります。

難しい話だって、ちんぷんかんぷんなことも多いです。

ただ、この「できないことができるようになること」というのは物足りない、と感じています。これだけじゃないよな、と。

そこで一つ思ったのが、僕が考えた「できないことができるようになる」というのは、全部自分目線だよなということです。

「何でも食べられる」というのも「泣かない」も「ニュースや新聞が理解できる」も「難しい話ができる」も、全部「自分」です。

自己完結します。言い換えれば、そこに「相手」はいません。

僕たち人間は、一人では生きていけません。無人島で本当に一人で生きていく場合は別ですが、少なくとも社会のなかで生きようとしたら、必ず他者と関わることになります。

これを自覚することも大切なことだと思います。そして、自覚した上で自分は他者に何ができるのかを考えることも要素の一つだと思いました。

まとめると、大人になるとは「自分は他者との関わり合いで生きている。そして相互に支え合っている。その上で、自分のためだけでなく相手のためにも何ができるかを考え、できないことをできるようにする。」

これが現時点での、「大人になる」ということです。

このように考えると、大人にはある時点で切り替わるわけではありません。明確な境界線が引かれているわけでもなく、むしろ曖昧です。

グラデーションのように、段階的に変化するものではないでしょうか。

そんな僕はまだまだ大人になりきれていません。未だに自分目線でものを考えたり言ったりしてしまいます。

ただ、このことに自分で気づくことができたというのは、少しは「大人」に近づいているのかなと思います。

スタートラインに立ったばかりの僕ですが、少しずつ確実に近づいていきたいと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました!

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Yuki
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