なぜ天動説は支持されたのか ②アリストテレス
第一回から読みたい方はこちらから
ここから二回では、天動説に対して強い影響を及ぼした古代の二人の人物、アリストテレスとプトレマイオスを紹介しよう。
〇アリストテレス(紀元384-322)の自然哲学
現代の科学が実験や観測からモデルを構築し自然法則を解き明かそうとするのに対して、中世までの人々には科学や哲学の境目がなかった。人々は「なぜ人が死ぬのか」「よく生きるとは何か」といったことと同じように「なぜ物体は落下するのか」「重さとは何か」という疑問を哲学によって解き明かそうとした。このように哲学と一体になった自然現象に対する論理展開を自然哲学と呼ぶ。
古代ギリシャでは様々な哲学者が独自の自然哲学を提唱したが、その中でもアリストテレスは自然哲学における最大の権威だ。彼の考えた自然哲学は二千年近くにわたって引き継がれることになった。
彼の提唱する自然哲学では、世界は火・水・空気・土の四つの元素から成るとする四元説を中心に構成されていて、自然現象はこの元素の性質によって引き起こされると説明した。
たとえば彼は火や空気の元素には軽いという性質が内在し、水や土の元素には重いという性質が内在するとし、天動説を前提とした上で、重力が発生する理由を「水や土の元素を含む重い物質は宇宙の中心(=地球の中心)に引っ張られて、火や空気の元素を含む軽い物質は天界(宇宙)に引っ張られるから」と説明した。
また彼は、天界(宇宙)はエーテルという元素で満たされた神の世界であり、完全な球体で構成された星々が永遠に変化することなく運動していると説明したり、時折現れる彗星は流星やオーロラのように大気圏内で生じる現象であると説明したりもしている。
アリストテレスは天文以外に関しても幅広く自らの哲学を展開し、彼が遺した膨大で綿密な知識体系は非常に完成度が高かった。彼の理論はギリシャからアラビアに輸入されて普及したのち、中世ヨーロッパに逆輸入され、トマス・アクィナス(1225-1274)などが中心となったスコラ学という動きによってキリスト教の教義と融和して、中世ヨーロッパの知識人はアリストテレス思想に多大な影響を受けることになった。
その偉大さと完成度の高さゆえに、中世ヨーロッパでは、測定技術が向上しても簡単にはアリストテレス自然哲学を超えることができず、アリストテレス自然哲学は中世ヨーロッパの科学の発展にとっては足枷になってしまっていた側面もあった。
たとえば、天動説は誤りで地動説が正しいというデータを得たとしても、その場合「地球の中心=世界の中心」でなくなりアリストテレスの重力の説明と矛盾する。つまり、天動説を否定するということは、それらを前提に組み立てられているアリストテレス自然哲学を否定することになり、地動説を説明するためには、更にアリストテレス自然哲学に代わる新しい理論を用意しなければならなくなる。
このように天動説から地動説に移行するためには、地動説が正しいという観測結果だけでなく、絶対視されたアリストテレス自然哲学を見直すという自然科学観の変化が必要であった。