そんな夜もあっていい。
どうしようもなく、自分が嫌になって、自分が今いるここを壊したくなる夜があることを知っている。自分を、自分自身の言葉という鋭利なナイフで傷つけてしまう、そんな夜のこと。
そんな夜は思い出すのだ。
カンナやノミや、小刀を操っていたじいちゃんのこと。
山で狩りをして撃ってきたイノシシを捌いていた故郷のおいやんのこと。
じいちゃんの作ったおもちゃを手にして喜ぶ私を、じいちゃんがどれだけ優しい目で見ていたか。
おいやんは言っていた。
「どれだけ上手く捌くかで、肉の味は決まる。このイノシシの命を生かすも殺すも、このナイフ一本だ」
どんな刃物も、命を生かすためにある。
自分を罵って傷つけることが、本当に明日を乗り切るために今必要ならば、したっていいと私は思う。それが必要である場合もあることを知っている。ただ、何も生かすことなく傷つけるだけならば、その使い方はまちがいだ。
そんなことのために刃物を使ってはいけない。
そう思うと少しだけ力が抜けて、握りしめた手のひらがほどける。
優しく柔らかく、血の通った使い方が、私にもできるような気がする。
それは絶対にまちがいじゃない。
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