「多摩区100人カイギ」で話します✨(書きなぐりました)
なんと多摩区100人カイギに登壇のお誘いがあった。で、誘ってくれたムラケンさんと、うちの近所のカフェで語った。
杉愛を語ってほしいと言われたけど、ちょっとまて、たぶん誤解がある。
杉の床を敷くのは、白いごはんを自分で炊いて食べるようなことで、そうじゃない常識のほうがおかしいと思ってるだけなんだよ。
杉への愛がすごいとか、私にすごい技能や知識とかがあるんじゃなくて、たまたま自分はやったことがあって、なぜか大多数の人はやってなくて、そこにギャップがあるだけなの。
私なんか、水泳でいえば25mプールをやっと足つかずに泳げる程度のもんなの。
ただね、このことが、今の社会が抱えてる課題と深く広ーくつながってた。
この国は杉の国だよ。
みんな知ってるとおり、国土の7割が森林で、植林地の半分近くが杉で。
森と川と海は土中でぜんぶつながってて、土中全体がいきいきするのが、まずわれわれの環境と暮らしのぜんぶを支えてるわけじゃん。
これ、大きな話みたいだけど、登戸の再開発で昔からの家の庭をぜんぶコンクリートにしたよね。あれで息苦しくなったよね。地面の下をみようとしてない。人のことしか考えてない。地面の上のことしか考えてない。
お金なんて、ただの紙だよ。
だから森が元気にならないとだけど、森はほぼ死に体というか、担い手、特に森と対話できる人が稀有で、課題が複雑に折り重なっていて、どう手を付けたらいいものかわからない、ということだけはわかった(^_^;)
ただ、少なくとも、ちゃんと管理して杉使うしかないことだけはわかるじゃん。杉だらけなんだから。
で、なんとなく、政策的なことよりも、ひとりひとりが杉がほしいと思うこと、杉にお金を出したくなることしか、本質的な解決につながらない気がするの。
でね、杉がそんなに価値のないものなら話は終わるんだけど、えっ?なんで使わないの?というくらいすごい気持ちよくて。昔の人はみんな知ってて、すごい活用してて、今の人が知らないだけなのがわかった。
実際床に敷くだけで全然変わるんだから、だったら使えばいいじゃん、敷けばいいじゃん、ってだけなの。
ほとんどが合板かビニルの床なんだから、お金なんかかけないで、木の質にお金払って、自分で敷けるんならそれがいいに決まってるじゃん。
合板やビニルは杉の代替品だよ。それで床が冷たいからってカーペットやラグを敷いて、スリッパ履いて、床暖房までして。
杉敷いたらぜんぶいらないじゃん。裸足でいいじゃん。ゴロゴロできるじゃん。子ども喜ぶじゃん。なんでこんな余計なもの買わされてたんだろうって思った。
どっちがホントに高くつくんだろうって思うけど、自分としては、身体つらくしといて、余計なもの買わされて、だったら最初から杉の床にしとけばいいじゃんって思う。
年食うとわかるよ。足冷えるもん。一番モロ影響受けるの自分じゃなくて赤ちゃんだよ、たぶん。ずっとハイハイしてるよね。床なめてるよね。
だから夢パークの乳幼児スペースにゴリ押しして杉敷いたんだよ。やだもん、あそこがビニル床なんて。あそこはホンワカした居場所じゃないとやだもん。
木はモノじゃないからね。
杉はモノじゃないからね。
あたり前だけど、植物だよ。
床になってから第二の人生なんだよ。
お米は品種で旨味が違うし、A5ランクの松坂牛とグラム200円のアメリカ産牛肉じゃぜんぜん違うし、草津の源泉と宿河原の銭湯じゃ違うよね(あそこの銭湯好きだけど)。
同じ木でもぜんぜん違うし、同じ杉でも質の違いで気持ちよさや恩恵が違うのはあたり前じゃん。
ほとんどの人は木がいいって言うけど、質の違いにはなぜか無頓着。そこにお金払おうっていう価値観もない。それじゃ、苦労してパワーのある木、いい杉育てて届けようってならないじゃん。木ならなんでもいいってなっちゃうじゃん。
だからこんなんなってる。
それがおかしい。
空間に一番影響あるのは床だよ。
そんなの言わなくてもわかるじゃん。みりゃわかるじゃん。床が変わったら全体が変わるじゃん。
なんで漆喰塗るのは流行ってて、杉敷くのは超ニッチなの?
空間って自分だよ。
自分そのものなんだよ。
空間に手を入れてよくすると、自分と空間がひとつになるんだよ。
こういう感覚、すごく大事。
そのことと、自然の生きた素材かどうかもはすごく関係してると思う。自然のものはそれぞれ出てる波動が違うもん。そりゃ違うよ。
・・と、ちょっと話がそれたけど、
毎日ごはんと味噌汁食べるじゃん。おいしいし身体に優しいから。
で、ときどき洋食や中華も食べるよ。
登戸の「神州の華」おいしいよね。
でも毎日神州はキツイよ。
家は毎日変えられないじゃん。
だから素直に、杉の床と、漆喰壁か紙貼りでいいじゃん、と思う。
デザインとかに特にこだわりがあるわけじゃないの。特殊解じゃないの。
杉の床と漆喰壁が、あんなに美しくて気持ちいいのに、杉の床にしたら床に置くものが要らなくなって勝手にシンプルになってくのに、すごく癒やされるのに、せっかく日本に住んでるのに、杉だらけなのに、あたり前に取り入れられてないことがもったいないの。
それで今度は花粉症ひどいから一気に刈りましょうって。
おかしいじゃん、そんなの。
普通に使えばいいじゃん。
野菜育てたら食べるよね。
杉育てたら燃やしちゃうの?
すごくもったいないじゃん。
だから、杉愛じゃなくて、自己愛だし、ただ、あたり前なことをあたり前だよ、と言ってるだけなの。
あたり前にならなきゃいけないよなあと、思うの。
でもね、呼ばれたら喜んで敷くけど、そんな積極的に広げる活動なんかしたくない。
旅するように出会って、勝手に広がればいいの。
だって家族の方が大事だよ。
身体はひとつしかないもん。
ただ、公共の場にみんなで杉を敷くのはすごくやりたい。
多摩区でやれるなら喜んで❗