旧約聖書の記述には矛盾がある~『旧約聖書〈戦い〉の書物』を読んで
長谷川修一著『旧約聖書〈戦い〉の書物』(慶応義塾大学出版会、2020年)をようやく読了した。今回は、この本を読んだ感想を少し書きたい。
長谷川氏は、オリエント史、旧約学、西アジア考古学の専門家で、テル・アヴィヴ大学(イスラエル)大学院ユダヤ史学科博士課程を修了し、現在、立教大学文学部教授との由。氏の著作には、中公新書の『聖書考古学』や『旧約聖書の謎』など、面白いものが多く、書店で氏の本を見つけるとなるべく買うようにしている。今回ご紹介する『旧約聖書〈戦い〉の書物』は、数年前に買ったものの、内容の複雑さもあって、なかなか読む気になれず、机の上に積みっぱなしにしていたものだ。なんとか読了したものの、完全に理解したとはいえないところも多いのだが、興味深かったのは間違いない。その内容とは…。
旧約聖書の記述には矛盾が多い。長谷川氏の『旧約聖書〈戦い〉の書物』は、ざっくりいうと、こうした矛盾について色々考察した本である。旧約聖書は、現在では、一冊の本にまとまっているとはいうものの、その内実は、長い間に異なる著者たちによって記された複数の書物のアンソロジーである。よって、同じ人物や事柄についても、違う伝承が含まれている。(これは新約聖書も一緒だ。)それぞれの伝承の背景には、おのおの違う思想がある。こうした伝承が伝えられる時、あるいは旧約聖書が編まれる時、このように異なった思想のせめぎ合い~戦い~がうまれた。その戦いの背景には、その時々の国の状況や、祭司間の権力のせめぎ合い、預言者VS祭司・書記といったものがあり、氏は、そうした視点から、旧約聖書の矛盾を読み解くことを試みている。
(標題は、レンブラントによる「モーセの十戒」)