陶磁器19:日本の焼き物(愛知県:瀬戸染付焼)
おはようございます。
今日も朝から快晴で風は乾いていてとても爽やか。昨日は空気も乾いていて戦ぐ風がとても気持ちが良く、今日もそんな感じになるのだろうか。
さて、日本各地の焼き物の名産地をピックアップしたところで、具体的に1つずつ見ていこう。
9回目の今日は、愛知県の瀬戸染付焼。
瀬戸染付焼(陶器)
瀬戸染付焼は、愛知県瀬戸市・尾張旭市周辺で作られている陶器。
瀬戸染付焼の特徴は、透明感があり柔らかな風合いの白い素地と、写実的で繊細さが魅力の染付画。染付は一般的に磁器に施される絵付技法ですが、瀬戸染付焼では陶器に染付を施したものも含まれる。
瀬戸市周辺は陶土の産地としても有名で、白い素地の原料も瀬戸産の本山木節粘土や本山蛙目粘土、猿投長石など地元産の陶土が赤津焼同様に使用されている。また、主に藍色に発色する絵具の呉須を用いて描かれる染付画は、瀬戸の自然や風景を写し取ったように描かれている。
歴史
瀬戸染付焼の起源は、19世紀初頭(江戸時代)に遡るり。瀬戸村(後の瀬戸市)出身の陶工・加藤民吉が、九州の地で磁器の製造技術を身に付け、瀬戸に持ち帰り普及させたことが始まり。そして、陶画工が瀬戸を訪れるさまざまな絵師より学んだ中国風の画法が瀬戸染付焼の絵付技術を発展させ、19世紀中期(江戸時代)には製造や絵付の技術が確立したと言われている。この時期に確立した瀬戸の風景や自然を描く瀬戸染付焼の画法は、19世紀末~20世紀初頭(江戸時代)にパリやウィーンで開催された万国博覧会で評価され、ヨーロッパの芸術運動「アール・ヌーヴォー」にも影響を及ぼした。
明治時代に入ると、瀬戸染付焼の生産はより盛んになり、食器や重箱などに加えてテーブルや灯籠、花瓶などの大型製品も製造され、現在も引き継がれている。
地理
愛知県の瀬戸市を中心とした東濃地方で作られている瀬戸焼の中で、山寄りで赤津焼が作られていたのに対して、開けた(赤津と比べて相対的に)低地エリア、いわゆる瀬戸市の中の瀬戸エリアが主な生産地とされる。
名古屋市から見ると真東からちょっと北に登ったくらいの右上に位置する。また、この地域にはその名も瀬戸川(赤津川と合流して一流河川の矢田川になる)が流れている。
作り方
陶土調合 瀬戸染付焼の原料は、瀬戸産の粘り気が特徴の本山木節粘土、本山蛙目粘土と、透光性のある猿投長石などです。数種類の素材を混ぜ合わせて、瀬戸染付焼特有の柔らかさを含む陶土を作りる。
素地形成 陶土を円形の回る台の上で作業をするろくろ、素地を型に押し付ける型打ち、手のみで成形する手ひねりなどの技法で成形しる。成形後の素地は削って厚みを調整し、水で濡らした布やスポンジで水拭きして表面をきれいにする。
また、この時点で模様を付けることもある。代表的な技法はカンナやヘラで模様を彫る画花(かっか)、印材を押し付けて模様を付ける印花(いんか)など。乾燥・素焼 成形が終わった素地は乾燥させ、約850度の低温で素焼きする。
染付(下絵付) 釉薬を掛ける前の素地に模様を描く下絵付。瀬戸染付焼の場合は、下絵付のなかでも染付という技法を用いることが特徴。染付では、主に酸化コバルト顔料から作られた呉須と呼ばれる絵具を使用して、素地に筆で直接模様を描く。描き方にも数種類あり、細い線で輪郭を描く線描き、線描きの内側を塗って濃淡をつけるダミ、輪郭などをとらずに自由に描くつけたてなどが代表的。
施釉 染付後の素地に、流し掛け、浸し掛け、刷毛塗りなどの技法で釉薬を掛ける。主に使用される釉薬は、透明性と光沢性がある石灰釉。また青磁釉、瑠璃釉、柞灰釉などの釉薬も使用される。
乾燥・焼成 釉薬が掛かった素地を乾燥させて本焼成に進む。瀬戸染付焼では、焼成の終盤に行うねらしという作業が特徴的。ねらしでは、釜の温度を1250度前後の高温に一定時間保ち、釉薬の熟成を進める作業を行う。
完成 ねらしも含めた焼成が終了し、窯から取り出しせば瀬戸染付焼は完成。
また、さらに上絵付で模様を加える場合は、本焼成後のこの時点で行う。下絵付でも使用する線描きやダミなどの描画技法を用いて、金や銀、そのほかの新たな色彩を施し、700~800度の低温で焼成して仕上げる。
*上記の情報は以下のリンクからまとめています。
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