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令和源氏物語 宇治の恋華 第二百三十七話

 第二百三十七話 夢浮橋(四)
 
小野の辺りに差し掛かった薫はすぐそこに浮舟がおると思うと居ても立ってもいられず、すぐに僧都の手紙を持たせた小君を差し向けようという衝動に駆られますが、人目については姫の存在が世に漏れ出ることもあろうか、と慎重にならざるを得ません。
匂宮に知られればまた苦悩の日々へ逆戻りとなるのです。
 
浮舟はこの道行きを草の庵から見ているであろうか。
私と知って少しでも心動かされるのであろうか、愛しい姫よ。
 
己に自信がないばかりに気が揉めて、やはりこのまま知らぬ顔を通した方がよかろうかとも、惑いに尽きることは無く、愛を前にしては人は分別を失い無力であるのです。
 
翌日横川の僧都は前夜の薫君の様子からして今日にも姫の尼君に文を届けられるかもしれぬ、と思いを巡らせ、きっと事情もわからぬ妹尼は狼狽するに違いない、と考えられました。
雲の上の存在である天下の右大将から突然手紙が届けられれば賤しき人々は大騒ぎをするでしょう。
それは存在を知られたくないという姫の尼君の意思とは相反するものなのです。
きっと何か事情があってその身を隠すようにしていられたのであろうから、当事者でない者たちが騒ぐのは好ましくありません。
僧都は重ねて妹尼へ手紙をしたためられました。
 
お久しぶりです。みな息災でお過ごしでしょうか。
早速ですが肝心な用件をお伝えしようと筆を取った次第でございます。
もしや本日薫る右大将様より遣いがあるかもしれません。
そのことに関しては後々お会いして詳しく説明いたしましょうが、けして疎かになさってはなりませんよ。
前夜右大将様からお話を伺い、私は姫の尼君を出家させたことが勤めではあったものの、後悔を禁じ得ません。
ただ姫の尼君にその旨を伝えて心づもりをなさってください、とだけ言づけていただきたいのです。
 
この手紙を受け取った尼君は何がなにやら、いったい姫に関わることを何故右大将さまがおっしゃるのであろうか、と困惑しております。
これは姫に確かめねば、とすぐに姫の元を訪れたのでした。
「ねぇ、姫や。兄の僧都からこのような手紙が来たのだけれど」
「僧都さまからでございますか?何でしょう」
いつものように邪気のない様子の姫君は何の気なしにその手紙を覗き見ましたが、さっと顔を青ざめさせました。
 
とうとうわたくしが生きてあるのを知られてしまったのだわ。
よりにもよって最も知られたくなかった君に。
ああ、なんと恥ずかしいこと。
いっそこのまま消えてしまいたい。
 
「これはどういう意味なのでしょう。ね、あなたはおわかりになっていらっしゃるわね?」
尼君が懸命に問うても浮舟にはその声が遠くに響くばかりで意識に入ってきません。
愕然として体も支えられずに打ち臥して、涙がとめどなく湧き出してくるのです。
「この期に及んでも隠し立てなさるあなたの御心が辛いわ」
そのように何も語ろうとしない姫を尼君はやはり恨むのでした。

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