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令和源氏物語 宇治の恋華 第二百八話

 第二百八話 小野(二)
 
僧都の母であり、この庵の主である尼君はもともと身分のある人で京に住まう中流貴族でした。
娘の僧都の妹尼もさる上達部の北の方として暮らしていられ、授かった姫にも良家の公達を通わせて順風満帆の人生を送っておりましたが、流行り病で姫があっけなく亡くなってしまったもので、世を儚んで尼となり母尼の元に身を寄せているのでした。
妹尼は出家して亡き姫の菩提を弔おうと日々勤行を重ねても、やはり恋しい娘をそうそう思い切ることなどできるはずもなく、どうにかして娘のような人を再び得たいと願ううちに浮舟がやってきたので、不思議な運命の導きを感じずにはいられません。
亡くした娘というのはこれほどの器量ではありませんでしたが、この姫ならばどんな公達に嫁がせても恥ずかしくはない、と密かに考えるのがなんとも浅はかで愚かしい。
事情を知らぬとはいえ俗世を離れた身でありながら些か分を越えているように思われましょう。
浮舟は記憶を辿り、辛かった日々が思い出されるほどに嘆きは深まり、生かされた意味を考えるにまでは至っておりません。
人の生には意味があるものです。
ましてや一度失いかけた命が繋がれたということは未だ為すべきことがあるということなのでしょう。
しかしながら薫君と匂宮のことを思い出されるほどに心が乱されて己を恥じ、これから先のことなど考えられるはずもないのです。
眠っていた頃よりも物も食べられずに痩せてゆく浮舟を尼君はまた気遣います。
「記憶がないというのは心もとないことでしょうね。少しでも食べて体が健やかになればいろいろと前向きになれるものですわ」
そうして優しく粥を進めるのが真の母親のようで、浮舟は実の母を思ってまた涙をこぼすのです。
「わたくしにも母がありましょう。尼君さまがわたくしを思ってくださるのをありがたく感じるほどに親不孝の身の上を嘆くばかりなのです」
たしかに自分は娘が戻ってきたように嬉しくありますが、この姫を亡くされた母はどれほど生きる気力をなくしたことか、と尼君も自分の幸福を諸手をあげて喜ぶことはできないのです。
細い背中を撫でて共に泣いてくれる尼君を頼りとするしかないと思う浮舟ですが、このまま自分はどうしたらよいのかと先の見えない不安に慄いて、また暗く沈むのでした。
 
大尼君の庵は趣味よく小奇麗に整えられ、巡らせた垣根に沿うように撫子がひっそり咲くのをまるで自分のようだと浮舟は思ったことでしょう。
さすが昔は都にて貴族と呼ばれた方々です。
小野の山荘は川のほとり近くではありませんでしたので、宇治の山荘ほどの恐ろしい水音は響きません。
静かに流れてゆく時のなかに浮舟は身を委ねてたゆたうばかり。
傍らには侍従と呼ばれる女房とこもきという名の女童が仕えております。
この人たちは小野の辺りの人たちなので都人のような洗練された様子はありません。
乳姉妹と同じ名であるのもので、どうしても懐かしい面々を思い出さずにはいられないのです。
 
幼い頃から共に育った侍従は自分が消えたことで惑うているに違いない。
親身になってこの身を案じてくれた右近の君はどうしているであろうか。
宮さまのことなど何も知らずに京へ迎えられるのを喜んだ乳母は失意のうちに体を損なってはいないだろうか。
何より母君は心身ともに息災であろうか。
もしも自分が生きているのがわかればみな喜んでくれるに違いないですが、どうしても知らせるわけにはゆきません。
ましてや薫君や匂宮には永らえた恥など晒せようか。
再び愛の狭間で悩まされるのであれば、その生に何の意味があろう。
世捨て人の庵といえど京にある親族などが訪ねて来ることもあるので、自分の存在を見咎められるのは避けたいと願うばかりに息を潜めるように暮らす姫君を見て、事情もあろう、と尼君も深くは詮索しませんでした。
 
それまでは唱えたこともなかった経を習い、御仏の言葉に耳を傾け、勤行の真似事などをするようになった浮舟はことさらに薫君を想わずにはいられなくなります。
御仏の教えは清しく尊いもので、どうしてこれまで学ぼうとしなかったことか。
御仏に心を寄せた君が清廉であったこと、今となっては宮の歯の浮くような甘い言葉が実体をもたない幻のように思われて、熱病のように耽溺を享受した自分を恥ずかしく思うのでした。

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