令和源氏物語 宇治の恋華 第百七十七話
第百七十七話 水鏡(一)
宮さまとお逢いすることは二度とあるまい。
そう思うと殊更に宮が恋しくてならない浮舟はせめて今生の別れを告げたかったとせつなくなりますが、この身を自ら消してしまおうと考えていること気取られれば本懐は遂げられぬでしょう。
邸の警備は厳重で、常に女房たちが側に侍るものでどうにも身を処すことができないのです。
宮を恋しく想う裡にも同じように薫君にももうお逢いできないという煩悶が生じ、溢るる感情に押し流されそうになる浮舟は、もしも身も心も二つに分けることができればと願いますが、そのように都合のよいことが起こるはずもありません。
この世への未練もまだ多分にある若い身空なれば、ただただ悲しくて涙が止まらないのです。
それを右近の君や侍従の君は匂宮と逢えないことへの悲しみとばかりに捉えられるのが、二夫を持った宿業であるか。
翌朝目を腫らした浮舟の元に匂宮から逢えなかった恨みをこまごまと綴った手紙が届けられました。それは浮舟の咎ではあるまいに拗ねたように滲ませて責められるのが何よりも辛いこと。
返事をとも思わずにその手紙の文にさらさらと書きつけた歌はすでに心が彼岸へと赴いている証。
からをだに憂き世の中にととめずは
いづこをはかと君も恨みん
(この身を辛い世に残さず消してしまうならば、御身の恨みはどこへ彷徨ってゆくのでしょう)
とどのつまり、宮は浮舟の苦境を鑑みようともせずにただただ浮世離れした恋心だけの世界に生きていられる。
そして薫君とて、浮舟を愛するがゆえに宮を遠ざけようというのではない。
それは体面を傷つけられた殿方の意地とでも申しましょうか。
わたくしは結局誰にも愛されることはなかったのだ。
浮舟はそれが悲しくて生きる意欲も削がれてゆくのです。
しかし女人とは愛を育む生き物。
たとい己が愛されていなくとも愛を紡ぎ、奉げることのできる存在としては、果たして自身は薫君と匂宮のどちらを深く愛しているのかと自問するのです。
その答えはまだ浮舟自身見つかっておりません。
それがまた浮舟に世を捨てさせる決意を鈍らせているのでしょう。
これまで御仏に心を寄せるようなことはなかったのですが、ここ数日縋るように仏前にて手を合わせる姫君が日に日に痩せ衰えてゆくのが労しい。
心裡にはさまざまな思いが浮かんでは消えてゆく。
それは親に先立つ不孝を詫びる母君への思い。
今一度会いたいと願う方々、姉の中君や可愛がっていた異母弟の小君などの顔が脳裏を過ぎるのした。
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