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令和源氏物語 宇治の恋華 第二百四十二話
第二百四十二話 夢浮橋(九)
「右大将さま、お返事はいただけずこの文も返されてしまいました」
そう言う小君は務めを果たせなかった残念さに肩を落としております。
折り畳み結んで返された手紙で薫はかの尼君が浮舟であると確信したのです。
これが浮舟の答えであるか。
さもあらん。
存在さえも失くしてしまいたいと願った浮舟の苦悩がまざまざと察せられて、薫は言葉を発することが出来ませんでした。
ただ小君を抱き寄せ、詫びるしか術はないのです。
「辛い思いをさせたな、小君。私のお前の姉君が生きていてくれたならば、という思い込みがこのようにお前を苦しませてしまった。すまない」
そうして流す涙は浮舟への決別のもの。
「やはりあれは姉上ではなかったのですね」
「うむ、まことの姉上ならばお前を疎んじたりはしないであろう」
「はい」
姉恋しさに泣く小君が不憫で薫君はこの子が愛しくてなりません。
もはや浮舟を思い起こすよすがはこの小君だけ。
せめてこの明晰な子を引き立て、立派な国の柱石に育てようと思うばかり。
それが浮舟の母君にもよいこと、ひいては浮舟の望むところであろうと斟酌するのです。
「小君、これからは私を主人と思うなよ。姉上と縁のある心安い兄と親しくしておくれ」
「右大将さま、身分が違いまする」
「薫と呼ぶのだ、よいな」
「はい、薫さま」
「この世にはなぁ、苦しく思うことも辛いこともたんとある。だが、人はつましく頑張ることで報われることもあるのだよ。私はそう思って日々過ごしているのだ。今は辛くとも明日の希望を信じて進もうな」
「はい」
これはすべて君のそうあってほしいという願望に他なりません。
誰よりも思うにならぬ人生を過ごしてきたのは薫その人なのです。
しかしこの幼い君にどうして残酷な真実など言えましょう。
薫は小君の行く末も負う覚悟で明るい未来を導いてあげたいと願うのです。
浮舟よ、あなたはすべてを捨て、もう振り返ることはないのだね。
私もいずれは御仏の弟子となって御身に恥ずかしくないよう努めるとしよう。
もう恋はするまい。
熱病のように夢中になる時は終わったのだ。
これからは心を平らけく女二の宮を守り、穏やかに過ごしてゆこうと心を固く閉ざしてゆくのです。
懐かしい月影たどる通ひ路や
まほろばに見る夢浮橋
(月影の元、通い馴染んだ恋路はもうこの世にはありはしまい。あれはまほろばの夢であったのだ)
明日からは創作最終章、『現世光(うつしよのひかり)』を三話にわけて掲載させていただきます。