令和源氏物語 宇治の恋華 第二百二十六話
第二百二十六話 山風(六)
年が改まると人はそれを節として新しい年に為すことなどを刻んで張りのある生活を紡いでゆくもので、俗世を離れた方々とて同じく新たな決意を胸に新しい年を迎えるのです。
人の営みに節目というものが如何に重要か、心を見つめ直すということがどれほど大切かというのは俗人でも世を捨てた人でも変わりはないのでしょう。
「新年明けましておめでとうございます。去年した写経が拙いもので、今年こそは納得のゆくものができればと思いますの」
「おめでとうございます。まぁ、まぁ。そう気負いますな、何事もじっくり修行してこそ、ですわよ」
「そうそう、新年になったからとて急にどうこうなろうというものでは」
「いいえ、皆さま。気持ちが大切なのですわ。向上心を新しい年に奮い立たせる、これも人の営みには寛容なことですもの」
そうして俄かに活気づくのも新たな年を迎えた醍醐味と申しましょうか。
尼君も柔らかく笑んで皆をいなします。
「なにはともあれ、新しい年も皆さまが息災でお勤めを果たされるのが一番でございましょう」
「そうですわね」
「今年も恙なく過ごせますように」
浮舟は新参者とて意見することもなく皆の言うままを聞いておりますが、こんな時ほど世に残した人々を思わずはいられません。
あれほど人の目に付かぬように、と望んだ身でも自分の行く先を生みの母は案じているであろうか、と里心がつくだけで居たたまれなくなるのです。
それから先の深く情を交わしたお二人については、もしもほんのちょっとしたときにでも自分を思い出していられるだろうか、などと探る気持ちがあるのは浮舟が世を思い切れない一因。
まったく女人の心というものは言うほどに頑なではなく、揺れ動いているのを咎めることはできませんでしょう。
この期に及んでも浮舟は世を諦めることはできず、やはり心に浮かぶ殿方たちを消し去ることは出来ずにいるのです。
しかしながら誰あろう、浮舟こそが自身の執着を恥じ、そのあさましさに怖じております。
そんな姫の心を知らぬ尼君はその年初めの子の日に行われる若菜摘みを言祝いで姫君に青々とした菜を差し上げようとしました。
「姫、若菜が届けられましたよ。このありがたい縁起物は姫があがってくださいね」
山里の雪間の若菜摘みはやし
猶生ひ先の頼まるるかな
(俗世を捨てた我々でも雪を割って萌え出る若菜を摘んで新しい年を言祝ぎますが、今日のこのめでたい若菜は姫の長寿を祈って差し上げます)
邪な想いを持つ自身よりも善良そうな尼君こそがそれに相応しいと浮舟は首を振りました。
「尼君さま。わたくしも精一杯生きる所存でおりますので、こうした縁起物は御身が召し上がってくださいまし。長生きしていただきたいんですの。心からですわ」
雪ふかき野べの若菜も今よりは
君がためにぞ年もつむべき
(いまだ春という実感もなく雪深い野でありますが、尼君さまの為に今日からは長生きしようと思います)
「そう、うれしいことをおっしゃってくださるのね。もしも姫の御姿が尼姿でなければもっと喜ばしいことでしたでしょうに」
いつまでも尼君にそう言われるのは辛いのです。
いまだ雪と氷に閉ざされた里でありますが、そんな厳寒の中に存在を知らせる甘い香りが漂うのを懐かしく感じる浮舟は庭先にほころぶ梅の花を見つけました。
格調高く清廉な香りはどことのう薫君を想起させて姫の尼をせつなく苦しめる。
袖触れし人こそ見えね花の香の
それかと匂ふ春のあけぼの
(かつて袖を触れて香りを移した薫君。今はその御姿を拝することはできませんがまるであなたを近くに感じるように紅梅が春の暁に匂っているのです)
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